太郎へ

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最近面白かったことがある。

 

仲の良い後輩(私に対して「自分ほんまプライド低いよな」等、後の輩が発したとは到底思えないことを平気で言う輩)が、愛媛へ転勤になったことだ。ちなみに、私はプライド高さでこれまでたくさん損があったなと思うので、正確には低いわけではなくて、低く生きようと試みているのだが、そんなことを長々と説明しようものなら「だまれ」と言ってくる輩である。仲良くしている私も私だが、こいつには1度「後輩としてあるべき姿」「後輩の義務と役割」「先輩と後輩の関係性」等の題目で研修してやりたい。

 

そんなナメ腐った後輩(後輩らしさが微塵もないやつを後輩と呼ぶのは癪なので仮名「太郎」として以下綴る)が、愛媛は松山という地へ旅立つ事実が、私的には最高に面白い。

 

断っておくと、私は心から愛媛および松山という場所がすごく好きである。数回旅行した程度だが、鯛めしや道後温泉などは至高以外の何でもなかったし、絶対にまた訪れたいと思う。大阪→東京→大阪と都会でしか生活したことのない自分が愛媛を面白いとか言うと、「愛媛?田舎すぎ(笑)」と面白がっているふうに映るかもしれないが、そんなことはありません。万が一田舎であったとしても、静かなところの方が好きなのでむしろ魅力を感じます。墓穴を掘るような言い方しかできませんが信じてください。愛媛生まれおよび愛媛を愛してやまない方々から嫌われたくないんです。

 

では何が面白いかと言うと、太郎も大阪→東京とこれまできているのだが、友だちや知り合いが0ではない、遊びたいと思った時に遊ぶことができる地から、ほぼ間違いなく友だちも知り合いも居ないであろう地へ飛ばされることが面白いのだ。もちろん1人で遊べばいいのだが、私の知る限り太郎はそれが絶対にできない。できないから尚更面白い。できないというか「ソロ〜」とか「1人〜」をとにかくバカにするやつなのだ。

 

私は昨年、どうしても鰻が食べたくなってひとり浜松へ旅立ったのだが、その話をしたら「マジで何が楽しいかわからん」「友だちおれ以外おらんのか(※お前後輩なんですけど)」と、これまた先輩に浴びせるものとして0点すぎる返答だったので、太郎は1人で遊べるわけがないのである。「鰻が食べたくなって1人発つのはおかしい、太郎の言うとおりだ」と指摘されても、キッと睨み返すことしかできないので、その点は触れないでください。

 

バカ太郎は友だちが多いのだが(褒める時は癪な思いを相殺するべくバカ太郎と綴る)、さすがに愛媛には知り合えさえ居ないようで、会社の愛媛支社的なところにもご年配の方が多いらしく、その時点で私は笑いが止まらなかった。1人での遊びに魅力を感じない太郎は、遊ぶためにまず友達をつくるところからスタートしないといけない。ざまあ見ろである。痛い目を見て欲しいと思う対象に実際天罰が下ると、人間は同情など一切なく笑えます。

 

ひととおり笑った後、1人で何すんの?と聞くと「海辺で釣りをしながらウクレレを弾く」とのことだった。どうやら太郎は、どうしても自分の出向先を美化したいらしい。愛媛をハワイか何かと思い込むことに決めたらしい。ウクレレ。片腹痛い。笑いすぎで痛い。

 

また「友だちを作らないといけない」以外に、もうひとつ大きな懸念点があるようで、「車を買った方がいいかもしれない」ということである。こればかりは少し同情するのだが、鉄道で四国から出るのは、結構な至難技らしい。調べてみると香川⇄岡山で通っているようだが、松山から香川まで鉄道、香川から岡山も鉄道、岡山から地元大阪までもまた鉄道、帰りも文字どおり鉄道三昧。さすがに車無しは死ぬと思ったらしく、私も「そりゃ死ぬわ」と同調した。「長旅でも大好きな電車だから全然OK♪」などのキラキラとした鉄道愛を太郎は持ち合わせていない。バスやフェリーも手段としてあるのだろうが、不自由にも程があるだろうし、出費もすごいことになりそうである。不自由に耐え得る精神力も貯蓄も、もちろん太郎は持ち合わせていない。なんか悪く言いすぎてる?ゆるせよ太郎。

 

貯蓄が無いという点で、なら車買うのも中々厳しいなぁという話をしたことがある。そしてそこから「車に比べりゃ安いしセグウェイはどうか」という話に発展したことがある。発展した時点で(私も含めて)気がどうかしていたとしか思えないが、お金がないというのはそれほどに目を背けたくなることなのだ。「松山から東京までセグウェイで行ったら100万あげる」と、常人にやったならば鼻で笑われるであろう提案をしたところ「マジでありやな」と本気の返事だったので、爆笑してドン引きした。

 

愛すべきポンコツと言いたいところだが、愛せる余地が一切ない。明石海峡大橋セグウェイで渡れると思っているやつを愛すなんて私には無理である。運転中、下手すれば車も横転するような暴風の中、懸命に前傾姿勢で進むやつが見えたら、あなたはそいつを愛せるだろうか。愛せる!と言う方、愛す前に爆笑して事故ると思います。

 

さて、そんなポンコツ太郎へ、私は1年長く生きている身として、物申したい。忘れているかもしれないが私はお前より1年長く生きているし、年齢がたった1歳差しかないことに強く憤りを感じている。

 

太郎よ、君は愛媛に行く。全く予想外の地で楽しみな思いもあるだろう。愛媛に行くと言うと皆笑うだろうし、それをおいしいとさえ思っていることだろう。心から救いようが無い。

 

一方で、不安もあることだろう。不安なんかないわ!と強がりたい気持ちもわかるが、セグウェイとか言ってる時点で動揺が見え見えである。新天地で右も左もわからない中、仕事も覚えないといけない、友だちや車のことも考えないといけない。ウクレレっぽさが年中あり続ける常夏の地でもない。頻繁に地元へ帰って来れる距離でも、頻繁に友だちが来てくれる距離でもない。

そんな、色んな思いが錯綜しているであろう君に、物申そう。

 

ドンマイ。過去は変えられない。

 

ドントマインド、つまり気にするな、である。これ以上のアドバイスは存在しない。気にしたところで、悔やんだところで、決まったことは覆せない。私も今年は厄年、この4ヶ月だけで既にやり直したい過去ばかり溢れている。今年だけでなく、人生振り返ってみれば、色んな場面でやり直したいことがポンポンと出てくる。

 

でも、これらは全て受け入れるしかない。ああしとけばこうしとけばなんて考えるだけバカらしい。「もしもあの時」なんて酔狂な世界は存在しないよこの結果だけが現実さ、っていうおつる中将の名言がここで響いてきます。「おつるさんが言うならそれはそうやな」と間抜け顔で頷く君の顔が目に浮かぶけど、おつるさんが言うならそうです(間抜け顔)

 

逸れたけれども、君がなすべきことは、愛媛での生活を存分に、余す事なく楽しむことである。数年後、愛媛から出たくないと胸を張って言えるぐらいに、楽しむことである。君の会社の人事は、お調子乗りな君に対して「しめしめ愛媛にでも飛ばしてやるか」と思ったのかもしれないが、「愛媛に行かせてもらってありがとうございました!」と数年後に言い放てるよう、頑張りたまえ。それでまた「しめしめ次はこんな辺鄙なところでどうだ、これなら太郎もきついだろう」となっても、君なら大丈夫。私は笑うけど。君なら、どこでも、置かれた場所で死ぬほど楽しく生きていける。私はめっちゃ笑うけど。

君がどこへ飛ばされようと、1回ぐらいは遊びに行きたいと思いますので。愛媛は2回ぐらいかなァ。

 

偉そうに人のことばっかり言いましたが、私も過去のことはほったらかして、未来だけを見て、大阪での新生活を死ぬほど楽しみたいと思います。太郎以外の皆さま、太郎って誰?となる文章を書いてしまいました。すみません。でも久しぶりに書けて楽しかったです。笑いながら書いてました。1年以上書いてませんでしたが、また更新したいなと思う時に更新するので、どうしても暇だという時に読んでください!

 

 

 

 

未知の世界

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長い間、ブログを更新できずにいました。

仕事が忙しくてブログを書く暇がないとか、

毎日同じことの繰り返しでネタが見つからないとか、

突然ブログをやっていることが恥ずかしくなったとか、

そういう類の言い訳はできません。

ありがたいことに仕事はそこまで忙しくないし、

毎日同じことの繰り返しではあるものの

それなりに書こうと思うことはありますし、

ブログをやっているのはとうの昔から恥ずかしくて

中途半端に辞める方がより恥ずかしいからです。

私が更新できなかった理由は2つです。

1つ目、びっくりするぐらい上手く書けなかった。

2つ目、びっくりするぐらい韓ドラにハマった。

今日は2つ目のことについて、

皆様に聞いてもらえればと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今更…?と若干ひかれる方も多いと思いますが、

流行りに乗り遅れすぎていることは

当の私が1番、十分すぎるほどに理解しています。

こんなに乗り遅れたのは、

韓ドラなんて見てたまるかと

謎の食わず嫌いをしていたからに違いありません。

日本のドラマでも見切れへんのに

1話1時間超えてて16話はどう考えても無理!と

思い込んでいたからに違いありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな私が、

愛の不時着を見始めたのは7月頭のことです。

まだ梅雨真っ只中でジメジメうんざりな時期に

なぜ私が愛の不時着を見始めたのか。

至極シンプル、Netflix代がもったいないからです。

梅雨は関係ありません。

以前までの私は韓ドラを受け付けていなかったので、

Netflixはそれっぽい洋画を見るためのものでした。

それっぽさがあればいいので

アイスコーヒーを飲みながら見てみたり、

壁にもたれて夜風に当たって見てみたり、

部屋を真っ暗にして見てみたりしていました。

そんなことを続けてるといつしか、

「おれはいつまでこんな薄っぺらいことしてるんや」

「それっぽさってよく考えたら全然いらんなぁ」

「心から感動できるなにかをちゃんと見てみよう」

こんな衝動が私の中で起こるようになりました。

言わずもがなそんなキラキラな衝動はブログ用であり、

実際のところは、

Netflix代もったいないしとりあえず見てみるか、

見切れる気せんけど、と言った具合に

全くやる気のないだらっとした衝動でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしこのだらっとした衝動が、

私の生活を激変させることになります。

16話じゃ圧倒的に足りないと思うほど、

リジョンヒョクに憧れて短髪にしてしまうほど、

ユンセリのインスタをフォローしてしまうほど、

作品中に流れる曲を普段から聞くようになるほど、

私は愛の不時着にどハマりしました。

自分には刺さるわけがないと思い込んでいたのに

気づけば深く深く刺さっていました。

愛の不時着という名の沼から抜け出すのには

なかなかの時間を要しましたが、

続いてキム秘書は一体なぜ?にどハマりしました。

こちらの沼もなかなかの難敵でしたが、

その後は梨泰院クラスにどハマりしました。

先日全16話を見終えて、絶賛沼に滞在中です。

しばらくこの沼から抜ける予定はありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このまま熱弁しそうなので断っておきますが、

韓ドラが面白すぎる、なんてことを

伝えたいわけではありません。

そんなことは私からわざわざ言うまでもなく、

私よりも遥か前に、皆様気づいていることでしょう。

僭越ながら私が述べたいのは、

未知の世界には無限の魅力さが

秘められているのではないか、

そしてその世界を知ろうとしないまま

ああだこうだと結論づけるのは愚かなことではないか、

ということです。

共感していただけなくても十二分に私は満足ですが、

もちろん共感していただいた方が

より満足なことも申し添えておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は気に入ったものばかりを繰り返す性格です。

1度作ったペペロンチーノが美味しかったら

以降作るパスタはほぼペペロンチーノになるし、

東野圭吾のミステリーが面白いと思ったら

湊かなえのミステリーは読めなくなるし、

ダウンを新調した冬には

コートを身に纏うことはありません。

でも考えてみれば、そういう風に繰り返すものたちも

かつては私にとって未知なものであり、

一歩踏み出して未知の世界に触れたからこそ、

繰り返すほどに気に入ったのではないかと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんなことも未知から始まったと思えば

そりゃ無限の魅力は秘められている気がします。

生きている間ですべてを既知に、なんて

到底できないのは万も承知ですが、

少しでも未知を減らして少しでも多くの魅力に気づく、

そういう生き方をこれからはしてみよう。

何も知らないまま食わず嫌いすることはやめて、

少しの努力を要してでも1度未知の世界に触れてみよう。

そんなことを思う8月末です。暑い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから、何か特定のものだけでなく、

明日も今日も、すべて未知の世界である、

そう考えて生きていこう、と思っています。

今現在、8月29日16時50分ですが、

1日後、どんなふうに過ごしているのか、

正確にわかるかと聞かれればわからないし、

1分後、どんなふうに過ごしているのか、

これまたわからないのです。

1日後は限りなく100%に近い確率で働いていて、

1分後は限りなく100%に近い確率で

ブログを書いていると思いますが、

それは予測の域でしかなく、

思い込みに過ぎない気がしています。

明日仕事嫌やな〜も、

ご飯作んのめんどくさいな〜も、

暑そうやから外出たくないな〜も、

100%正しいことなのかどうかは、

実際その時点になるまで、その世界に触れるまでは

誰もわからないのではないでしょうか。

めちゃくちゃ上司に褒められるかもしれないし、

めちゃくちゃぱぱっと美味しく作れるかもしれないし、

めちゃくちゃ暑いわけでもないかもしれないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

未知な世界を、

どうせああだ、どうせこうだ、と決めつけるのは、

実に愚かで、実にもったいない。

この先何があるかわからないなら、

その時点が来るまでは偏見をもたずに

その時点が来てからあれこれ考えればいい。

そうやって生きれば、

普段ならなんの魅力も感じない憂鬱な日々も、

ちょっと楽しく過ごせそうではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

ずいぶんと布教してしまいましたが、

ともかくこれから私は、未知の世界を

心ゆくまで味わっていこうと思います。

手始めに、涼しい部屋の中ではなく

夕日がきれいな海岸でブログを書いてみました。

もしかしたらよりエモい感じの文章が

出来上がるんじゃないかと思い、

夕日×海岸×ブログ、という

きっと誰も踏み込んだことのない未知の世界に

足を運んできました。

結果、いつにも増して宗教チックな文章になるし、

汗だくになるし、まぶしいし、

あいつずっと携帯触ってるやんって思われそうで、

いいことはほとんどありませんでしたが、

夕日は綺麗に見えました。これだけで十分です。

未知の世界、悪くありません。

コロナコロナで憂鬱ムードは絶えませんが、

決まりきったこと、と思わずに。

あくまでもムードだと思って。

未知の世界、皆様もぜひ堪能ください。

 

上京

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私は今、東京にいる。

22年間住み続けた大阪を離れ、東京にいる。

大事なことなのでもう1度言う。

私は今、東京にいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遡ること1年ほど前、内定が決まった時は

東京か〜☆といった感じで調子に乗っていた。

作りの甘い私の脳みそ下では、

東京での新生活をイメージするばかりで

大阪から離れるイメージができていなかった。

東京へ行く=大阪から離れる、という

とてつもなく当たり前な等式さえ私の頭にはなく、

東京へ行く=東京か〜、という

とてつもなく無意味な等式がこびりついていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大阪から離れる、を強く感じるようになったのは、

2月頭ぐらいから。

家の契約、新生活の準備、卒業、

そのほかにもたくさんのことが

おまえは大阪から出ていくんや、と

少しずつほのめかした。

ほんとに何気ない、

例えば家近辺を歩くことも特別なイベントになって

ラストか〜、と思いながら残された時間を過ごした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2月3月と残酷なほど早く時間は過ぎ、

ついに3月27日、東京行きの新幹線に乗った。

ここからとても情けなく恥ずかしい話をするが、

新大阪を出発して

もう大阪には戻れない状況に陥った時、

とてつもない量の涙が出てしまった。

これは決して映画の見過ぎとかではなく、

ブログ用に流した涙とかでもなく、

ただただ自分の意思とは全く裏腹に流れる

それはそれは綺麗な涙だったのだ。

とてつもない量とは言ったが、

もう私もいい大人なので

喚いたり嗚咽が漏れたりはしなかった。

こっそり窓に向かっていっぱい泣いた。

いい大人なら大阪から出発したぐらいで泣くなよ、と

皆さまの心を代弁してみたが、

私だってそう思う。

私も好きで泣いているわけではないし、

好きでこんな話をしているわけでもない。

私がこの話を書こうと思ったのは、

上京について書きたかったけれども

ただ上京しました、と書くよりも

泣きながら上京しました、と書く方が

おもろいに決まっているから、

仕方なく皆さまに報告しているのである。

私はブログがおもしろくなるなら、何でもするのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな命のかかった文章を

皆さまは無料で読めてしまうのである。

もし1つの記事を読むのに100円かかるとしたら、

いったい何人の方が見てくれるのだろうか。

0、だけは避けたい数字である。

私の感覚的に、20人ぐらいは見てくれる気がする。

もし自惚れすぎていたらその旨をご連絡いただきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どう考えても自惚れすぎだが、話を進めよう。

私は、なぜ泣いてしまったのだろうか。

泣き虫だと結論づけることは簡単である。

そんな話をしたいわけじゃない。

第一、私は泣き虫ではない。(自称)

私の泣き虫じゃない自慢をさせてもらえるならば、

リメンバーミーは泣かなかった。

タイタニックも泣いていない。

花束みたいな恋をしたも見たが、嘘泣きした。(なんで)

そんな感じで、数々の大号泣不可避作品を

見事に(?)可避してきた経歴を、私は持ち合わせている。

さて、そんな私がなぜ泣いてしまったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私なりの答えで恐縮ではあるが、

ちょっとかっこいい答えになりそうなので

聞いていただきたい。

新幹線で大阪から出発する瞬間は

まさしく人生の第1章が幕を閉じた瞬間で、

同時に第2章が始まる瞬間でも

あったのではないだろうか。

ないだろうか、なんて言われても

皆さまとしては知ったこっちゃないだろうが、

きっとそれが泣いてしまった原因なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに第1章とか第2章とかは

私の人生の師匠がおっしゃっていたので

そのまま引用させて(パクらせて)もらった。

私が何も考えずに人生を分ければ、きっと

幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と分けて

第1章、2章、3章、4章、5章、としていたが、

師匠は社会人になるまでを、まとめて第1章とした。

どちらが正解というわけでもない、

ただ私にない考えをできるあたりが

やはり師匠だと思ったのだ。さすがである。

ということで、

私も師匠の考え方を用いることにする。

その方がきっと、かっこいい文章を書ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これまでたくさんの環境で、

たくさんの人と、

たくさんの経験を積み、

たくさんの感情を抱いた。

楽しい思いを何度もしてきた一方で、

嫌な思いも腐るほどにしてきた。

嫌な思い出の方がきっと残りやすくて、

嫌な思いをしてる時に昔の嫌なことも思い出して、

人生しんど〜となることも、第1章ではたくさんあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも私は、そんな第1章が終わる瞬間に、泣いた。

きっとそれは、

そんな嫌なことばかりだと思っていた第1章が、

終わってくれるなと思うほどに

輝かしく、恵まれていて、幸せな章だったからである。

そしてこれから始まる第2章が、

果たして第1章ほど、幸せで満ち溢れた章になるのか、

不安でたまらなくなってしまったからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、しっかりと幸せで囲まれていた。

日々、ふつうに過ごしている時は、

そんなことなんて思いつくわけがないけど、

節目節目ではそうやって気づくことができるのだ。

私で言うと、

新幹線で大阪から出発し東京に着くまでが、

第1章と第2章の節目だった。

大阪にいる間は泣く気がしなかったのに、

離れてから泣いてしまったのは、そういうことである。

そして東京駅に降り立った時、

涙を流すなんて概念は、消え去っていた。

それは、私の第2章が、すでに始まったからである。

これからまた、

しばらくの間は泣かないし、泣けないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は今、東京にいる。

楽しいこと、嫌なことも

こっちへ来てからすでに経験した。

きっとまた、嫌なことばかりが目につくのだろう。

でも私は、第2章を精一杯に生きていく。

そしてまた、第3章に移り変わるその瞬間に、

嘘泣きじゃなくて、思いがけない涙を流したい。

できれば、第1章が終わった時よりも長く、多く、

そして綺麗な涙を流したいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな第2章を、これからも無料で公開します。

今回の文章が、第2章で初めての文章です。

久しぶりに書いたので、

格好をつけすぎている部分が多くなってしまいました!

仕方がありません!

定期的にかっこつけないと身体が痒くなるので!

でも今回は、自分でもドン引きするほどに、ひどい。

きっと共感性羞恥みたいなのを感じて

読めへんわこんなん!となってしまう方が

大量発生することでしょう。

そんな文章でも、ここまで読んでくださった皆さま。

そんな皆さまに、少しでも興味をもって

これからも見ていてだけるように。

これ、お金取った方がいいよ!?と

思っていただけるように。

いやいや、お金なんか取らんよ〜、と

謙遜できるように。かっこつけられるように。

働きながら、第2章を書き続けていきます。

皆さまも、今過ごしている章を

たくさんたくさん彩って、

来る節目にいっぱいいっぱい泣いてください。

お互い、がんばりましょう!!!

 

22の愚痴

私はここ1年、卒業論文と対峙している。通称ソツロンである。

 

 

【2月初め】

私の大学というか私の学部学科では1月中旬に教務へ卒論本文を提出することが義務付けられていた。切実にそれで終わりにしてほかったところだがそうもいかず、今は2月中旬の発表に向けて要旨やらパワポやらをまとめている。自分で作成したのち教授にご添削していただくのだが、これがまるで22年間の人生を全否定されるがごとく浴びせられる懲罰なのである。このように修正してください、と指示されるならその通りに書けば良いのでまだしも、ここが意味わからないので再考、とのご指摘はいとも簡単に私を戸惑いの世界へ誘い、しばらくその世界に閉じ込めてくれる。意味がわからないって言われましてもこちらもあんまり意味わからないですとしか言いようがない。

 

 

 

 

さらに厄介なのが、発表が終わっても添削はまだ続くという噂を耳にしてしまったことである。厄介すぎていっそ聞かなかったことにしたいが、去年めでたくご卒業された先輩の卒論ファイルを確認したところ、最新更新日は3/9であることが発覚した。

 

 

 

 

 

 

 

──死にたい!

 

 

 

 

 

 

 

 

何をそんなに添削することがあるのだろうか。もっと簡単に卒業させてくれても良いのではないか。大学とは監獄なのか。監獄の図面の刺青を身体に入れなければ脱出できないプリズンブレイクのように、卒論もそこまで身を削らなけければならないのだろうか。もしかして卒論本文の刺青を身体に入れた暁には終えることができるのだろうか。

もしそうなら私は喜んで刺青を入れることにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【発表後】

そんなこんなで、今日発表が終わった。漢字2文字で発表の出来を表したい。「散々」である。

 

研究内容はそこまで悪くなかったと自負しているが、なにしろ量がとても多かった。マジメに4月から取りくみ続けたことが仇となり、発表時間として設けられた10分ではとても言い切れないほどの量になってしまった。教授からも量が多すぎるね、と事前に言われていた。いや、あんたがやれって言うたからやったんですけど?と常に疑問を抱えながら発表に臨むと、案の定早口で発表することになり、聞いている人たちの頭の中に「こいつ何言うてるんや」を見事に爆誕させてしまった。それは質疑応答に移ってからこの世の終わりかと思うほどに沈黙が続いたことからも明らかと言える。あぁ、卒論みたいな言い草になってしまった。一刻も早くこんな口調から解放されたい。

 

 

 

 

 

 

 

沈黙は続いたが、とても優しい教授の方が質問してくださった。

 

──とてもたくさん話されてましたが、調査で大変だったことはありますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・気を使ってくれている!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これはもう「何か質問してあげないとかわいそうだ」と思われた故の質問と見てまず間違いないだろう。なんて答えやすい質問なのだろうか。大変だったことなんて次から次へと思いつく。本当は「教授の機嫌を損なわないように研究を進めることが何より大変でした」と答えたかったところだが、そんなことを言えば卒業が危うい。アンケート調査が大変でした、と誰でも言えるようなことをドヤ顔でぬかし、潔くその場から去ってやった。いや、去ってやったというより、去りたかった。去らせてほしかった。もうこれ以上、気を使ってもらうのも申し訳なかった。幸い司会者が空気を読んでくれたおかげで私の発表は無事に幕を閉じた。無事ではない、大事故を起こして幕を閉じた。そんな幕の閉じ方あるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく発表は終わったのだ。嬉しい。添削は続くと言われているが、もうそこまで厳しい添削を受けることはないだろう。そんな思いを馳せていたところ、発表後に教授からこう声をかけられた。

 

「いや〜学会には出すんだけどさ〜どの学会に出そうかな〜2月頑張らないとね⭐︎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学会に出す話は事前になんとなく聞いていた。でも無知な私は自分が書いた卒論本文を勝手に学会に出してもらえるものだと思っていた。つまりは、とりあえず卒論を完成させればもう何もしなくても大丈夫だと思っていたのだ。

じゃあいったいなにを頑張ればよいのだろうか。頑張らないとね⭐︎じゃねーよ、こちとらもう死ぬほど頑張ったんですよ、今日以降頑張るつもりなんてあんまりないですよ・・・え、まじで何を頑張ればいいんすか・・・?と最初は反抗的な態度を示しつつも不安の微増が止まらなくなったので、同じゼミ室の学生に「学会に出すってことはなんかやらんとあかんの?」と聞いてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

──要旨を7ページぐらいでまとめるんちゃう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・死刑を言い渡されたような気分である。7ページぐらいの要旨をつくる・・・?発表会の要旨2ページをつくるだけであんなに苦労したのに・・・?あれの3.5倍だ・・と・・・?

不可能である。決して盛った話ではない、これは不可能な話である。どれぐらい不可能かと言うと、なにも悪いことをしていないのに急に死刑を宣告されてそれを受け入れるぐらい不可能である。これを受け入れた暁には私は死んでしまうと言っても過言ではない。誰が死ぬとわかっていて受け入れるのだろうか、私はまだまだ生き残りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからというもの、よくある天使と悪魔の囁きが私の頭の中を駆け巡り続けている。

私の中の天使は、要旨を7ページつくり死ねと言う。私の中の悪魔は、ボイコットして生き延びろと言う。

まさか天使に死ねと言われ、悪魔に生き延びろと言われる羽目になるとは思いもしなかったが、今回ばかりは悪魔の囁きに思いっきり耳を傾けたい。ここまで丁寧にご添削していただいた教授には大変申し訳ないことだが、ボイコットさせていただきたい。今現在、世界中でボイコットしている人は少なからずいるのだろうが、誰ひとりとして「させていただきたい」というへりくだった姿勢でボイコットはしていないだろう。その点評価していただけると幸いである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなことを言っているが、結局のところ私にボイコットする勇気などはない。どうせ死にきれないまま要旨を作るのだろう。「すぐに死なせてたまるか、死ぬより辛い思いをさせてやる」のやつである。私はこれから死ぬより辛い思いをするのだ。とっても逃げ出したい気持ちだが、私はこれまで優等生と呼ばれ続けてきたと思う(?)ので、ぐれ方が全くわからない。そんなん教授からの連絡無視し続ければいいだけや〜ん、とこれまで何度もぐれてこられた方には言われそうだが、私には1日無視できるマインドさえ理解できない。情けないことだが教授からの連絡を無視するなんて、パラシュートなしのスカイダイビングぐらい怖い。なのである意味、私はぐれることができる方を尊敬している。パラシュートなしで上空3000mから飛び降り無傷で着地しているようなもんなのだ、そりゃ尊い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気づけばなぜかスカイダイビングの話をしていたが、久しぶりに書いたブログでたくさんの愚痴をこぼすことになった。まずは皆さま、私のこんなくだらない話を聞いてくれてありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はこれまであんまり愚痴とかの類を言ってこなかった。というのも私は八方美人なところがあって、愚痴を言わない自分に惚れていたし、誰からも良く見られるには何も言わないのが手っ取り早かったのだ。よく見られたいっていうのも人間の欲求として普通だと思っていたし、実際何も言わなければよく見られることは多かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも私の場合、これを過度にやりすぎた節がある。私は今、重度な八方美人症である自分とおさらばするため日々格闘している。みんなから良く見られようとしすぎたせいで、欠陥のない自分を演じすぎたせいで、人によって自分を変えて接しすぎたせいで、私は自分がどういう人間なのかよくわからなくなった。自分でさえ素の自分がよくわからないし、それがとても苦しいと今は思ってしまう。いつも人任せで自分の在り方を決めてきたので、自分が大切にしていることもわからないし、もしかしてないのかもしれないとも思う。常に考えて考えて考え抜いて生活している人を見ると、素直にすごいなと思う反面、自分が何も考えていないことに拍車がかかっていくようで辛くなってしまう。ていうかこれまで意識しなかったのでわからなかったが、だいたいの人がめちゃくちゃ考えて生きていることを最近知った。すごいけど、辛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

辛い辛いとこぼしているが、私にそんなことを言う資格はない。これはここまで"なんとなく"生き続けてきた自分が悪いし、周りの誰が悪いというわけでは毛頭ない。これから自分を自分らしく形成していくには、少なくとも八方美人な自分とは決別して、いついかなる時も取り繕うクセを直さないといけない。直さないといけないことはないのかもしれないが、直したいと思ったので直すことにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これまで以上にブログも自分のために書き綴ろうと思うので、方向性は変わるかもしれませんが、それでも読んでいただけるという方は引き続きよろしくお願いします。いつも読んでくれて、あなたが思う以上に私は感謝しています。引き続き読んでくださると、これ以上の喜びはありません!

 

シチューとごはん

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シチューと一緒に食べるのは

パンでしょうか。

それともごはんでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実にくだらないですがこの論争は

キノコの山vsたけのこの里ぐらい

ヒートアップしているそうです。(私調べ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おそらく誰も興味ないことでしょうし

興味があられても困りますけど

僕はパンです。

うちはあまりシチューが出てこないので

胸を張ってパン派とも言えませんが

これまでの人生で

シチューにごはんを合わせたことはありません。

なんで合わせないの?と聞かれれば

おかんがパンしか出さないから、

そう答えると思いますが

もしおかんがごはんを出してきたなら

え、ごはんってシチューと食べるん?

とさらなるおかずを求め、

おかんを不機嫌に仕立て上げていたことでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

果たしてシチューとごはんは合うのでしょうか。

食べてみないとわからないことなのは

重々承知しておりますが、

どうもそんな気になれません。

なので過去を振り返って

「これとこれが合うわけないのに

合わせてみたら意外と良かった」を

探してみることにしました。

そしたら合わせる気にもなるかなと思って。

一応言うておきますが、決して暇ではありません。

こうしてブログを執筆している間も

卒業論文でやらんとあかんことがわんさかですが、

やはり僕のブログを待っている読者のことを

考えると大学の卒業なんて

これっぽっちもないので(ある)

無駄な思考を巡らせていくこととします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とは言いましても

なかなか思い出せないもんです。

そういえば僕はあんまり

危ない橋は渡ったことがないので

合わなさそうだと思ったもの同士を意識的に

合わせようとはしないのかもしれません。

誰かが卵かけご飯とココアが合うって

言うてたことを唯一思い出しましたが

心の底からそんなわけがないのです。

そいつはおそらく

卵かけご飯とココアが

大好きで大好きで仕方ないのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これとこれが合うわけない、から考えると

思いつかない気がしますので

とにかく合うな〜と思うものから出していって

ほんまに最初から合ってたんかな、を

考えることにしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

合うな〜と思うものなんて無限にあります。

お寿司と温かいお茶。お寿司とガリ

マグロとたくあん。サーモンとオニオン。

いくらとのり。イカとレモン。

唐揚げとレモン。

ハイボールとレモン。

塩タンとレモン。

はちみつとレモン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そろそろまじめに考えますと、

食べ物以外に目を向けてみれば

小っ恥ずかしいですが、

地元の友だちは合うのかもしれません。

中学3年からの、僕の大事な親友たちです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕含め4人、

高校は全員別やし

大学はまぁ1部被りありですが言うてもバラバラ、

それやのに中学を卒業してからも

周りからホモ扱いされるぐらい

会って遊んでを繰り返しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日もエアビーを使って泊まってきました。

アメニティ欄に鍋と書いてあったので

もつ鍋しようと具材を大量に買い込んで行くと

見事に鍋がありませんでした。

結果閉店ギリギリのニトリで鍋を買うことができ、

作ったもつ鍋を食べたりして楽しみましたが。

そのあとは美味しい日本酒を飲むものと

人生ゲーム最下位でリキュールを飲むものと

大して美味しくなさそうなハイボールを飲むものと

お茶8お酒2の割合で飲むもの(我)とで

それぞれしっかりと酔っぱらうわけでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よく酔っぱらうと中学3年の時の話をします。

休み時間の4人野球が楽しかった話や、

授業中に遊びまくっていた話や、

文化祭の劇の練習を抜け出した話など、

色々ありますが、

ほんまよう友だちになれたなという話は

酔っぱらうたびにしている気がします。

というのは、僕がその中の1人と最後の最後まで

全く仲良くなかったからです。

特に仲良くなかった理由はないですが、

ケンカが強そうでいっぱい呼び出されてそうで

野球をしていて身体がゴツかったので、

僕は食わず嫌いしていたといいますか、

そう、ちょうどシチューとごはんのように、

自分とは合うわけがないと思い込んでいました。

残りの2人とはサッカー友だちで

元から仲良かったのですが

2人とも僕とは比べ物にならないほど

サッカーが上手いやつらなので

僕だけ取り残されているような感覚でした。

いやもちろん2人ではなく僕が悪いのですが

そんなことを考えていると

合わへんのかな〜よりになってしまって、

ゴツゴツ野球は言うまでもなく、

サッカーの2人とも合わへんのかなと思うと

新たに友だちを作るのが苦手な僕は

寂しくなりました。

もう一度言いますが下手くそな僕が悪いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな思いを抱えている中、

僕はその3人と一緒にお弁当を食べました。

サッカー野郎たちとはよく一緒に食べていましたが

ゴツゴツ野球とは初めて一緒に食べました。

そこで初めて

ゴツゴツ野球がわりと優しくて、

わりと気を使えて、

わりとよく笑ってくれると知ったし、

サッカー野郎たちがサッカーでは格下な僕を

人としては対等に見てくれてると思えました。

そんなサッカー下手やったぐらいで、と

お思いになるかもしれませんが

私生活に影響が出るほどに

僕自身サッカーにのめり込んでいましたし、

それは僕だけじゃなくて2人ともそうやったのでね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3人といる時間はなんとも言い表せないほど

楽しいのです。

高校受験前、昼休みは勉強、

といきたかったところですが

毎日猛スピードでお弁当を平らげたあと、

授業ギリギリまで野球をして遊んでましたから

3人といた時間分だけ成績は下がっていきました。

そのかわり受験勉強がしんどいとは

全く思わんかったし、

勉強以外のことでも、

一緒にいれば何かで悩むことはありませんでした。

それは今も変わらず、です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのメンバーで遊び続けている理由は?

以前までならこれの返答は

一緒にいるとめちゃめちゃ楽しいから、

であったと思いますが、今なら、

合うから、

こんな返答になるかなと思います。

恥ずかしくてここからたぶんを連発しますが、

誰かが頑張っていれば

たぶん応援したり、

たぶん尊敬したり、

たぶん悔しがったりするし、

誰かが感謝すれば

たぶん素直に喜んだり、

たぶん素直に喜べなかったり、

たぶん次は自分が感謝しようとするし、

誰かがしんどそうなら、

たぶん気を使えるし、

たぶん無理するなと言えるし、

たぶんなんとかしてあげようとする、

そんな一緒にいて楽しいだけじゃない、

素直で心の優しい人たちなので、

合うなぁーと常々実感しています。

合うなぁーというと上からみたいで

僕も素直で心の優しいやつみたいになってますが、

まさしくそうでありまして、

いや、嘘ですごめんなさい、そうじゃなくて、

僕にとって3人は、

こんな人たちと合うといいなぁーの

見事にこんな人たちなのです。

ほんとに心の底から、

一緒にいてくれてありがとうと思います。

自慢の友だちというと

褒めすぎで気持ち悪いですが、

自慢できることがほぼない僕の

少し自慢しても良いな、と思えるのがこの3人です。

こんなことは普段絶対言いませんが、

おれらのこと書いて、とこの前言われましたので

書いてみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてさて、

元はと言えばシチューの話。

合わないと思っていた3人と、

とっても合う人生を、気づけば送っておりました。

3人にはもちろん感謝しかありませんが、

ひとつ自分にも感謝したいことがありまして、

 

中学3年の時、

シチューと合わなさそうなごはんを

合わしてくれてありがとう、

おかげでその先とても楽しい人生です

 

そんな風に高校受験前のぶくぶくと太っていた僕へ

伝えたいと思います。

お前は大人になってもイキってるんやなと

思われそうですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとは本当のシチューと

本当のごはんを合わせるのみ。

合わせてみたらとんでもなくよかった、を

違うかたちではありますが

先述のように経験しているので、

今年の冬は1度合わせてみますか。いよいよ。

もしも合わんかった時は

地元の友だちとも縁を切る覚悟です。

 

受け継がれる父

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どうもこんにちは。

最近は退屈すぎてディズニープラスで

プーさんを見ていました。なんて平和。

そんな平和な日々に魔がさしたので

これはブログのネタになると思い書き出しました。

以下が魔の内容でございます。

 

 

 

 

 

 

 

-そこ閉めろよ。何回言わすねん。

-すぐ戻るからええやん。

-おまえそれの積み重ねでずっと開けてるやん。

 毎回ちゃんと閉めへんから何回も言われんねん。

-わかったじゃあ行き来する回数を減らすわ。

-いや毎回ちゃんと閉めろよ。

-いやすぐ戻るんやから一緒やん。

-いや閉めろって。

 なんでそんな簡単なことができへんねん。

-もうええって。長い長い。

-あ?

-嫌われんでそんな細かいと。

-ブチっ!(脳内の音)ボカッ!(机を蹴る音)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この前、リビングで繰り広げられた

弟とのやりとりです。

僕の家はウサギを飼ってるので

夏の日中はずっとクーラーを効かせています。

ウサギは暑さと湿度に弱いのでね。

なのでリビングと廊下を隔てるドアは

しっかり閉めないといけません。

別にウサギがいてもいなくても、

どこの家でも当たり前のことでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

その当たり前を弟はできないのです。

おかんが何回注意しても開けっ放しにして、

閉めろと言うとすぐ戻るからの一点張り。

普段僕から注意することはありませんが、

その時はおかんもいなかったので

兄はブチギレてしまいました。

もはや閉める閉めないの問題ではありません、

態度がうっとうしすぎて、、、

終いには机を蹴りました。ええ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなくだらんことで、と思う方も

いらっしゃるでしょうが、

長男というのはそういうものです。

次男がしっかりしていないととっても気になるし、

とっても腹が立つのです。

いや〜おれ長男やけど全然そんなことないけどな、

そう思われているあなたは

おそらく長男ではないのです。

生き別れた兄がいることでしょう。

探してみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心の底から弟というのはむかつく生き物です。

昔は兄弟で仲良いことが逆にイケてると思い、

形だけでも仲良くしようと思い、

本当に仲良い兄弟になったと自負していますが、

弟も大学生になりリモートで家にいる時間が増え、

以前よりも色んなことが目につくようになり、

むかつくことが増え、

最近は口を聞くこともほとんどありません。

そもそも仲良い=イケてるというのが

正しい理論ではない、、、?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう、僕もしんどいので

金輪際ブチギレたくはないのです。

昔先生からよく言われた、

怒る方もしんどいという言葉、

当時はそんなわけあるかいと思っていましたが

この年になりようやく理解しました。

できることなら頭に血が上らないようにしたい。

なのでなぜこんなにもむかつくのか、

1度考えてみることにしました。

自分で言うのもあれですが、外向けは良いので、

普段友だちや先輩や後輩や彼女にむかつくことは

全くありません。

大抵のことは気になりませんし、

別にええやーんと思えるのですが、

弟にはしょっちゅうむかつくので、

これは何か原因があるのではと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなん家族やからちゃうん?と

簡単な答えで片付きそうですが、

家族でも腹立たへん、という人もいれば

逆に家族以外の方がむかつく、という人も

いるでしょうから、

もうちょっと深掘りしてみたところ、

1番原因として可能性があるのは

親父なんじゃないかと思ったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕のブログを定期購読(タダ)してくれている

皆さまならもうご存知だとは思いますが、

一応親父のプロフィールを

簡単にまとめておきます。

 

・名前と年齢;親父(47)

・現在地;石垣島(単身赴任)

・旧所在地;東京(10年ほど)

・すなわち;ほとんど家にいない(うれしい)

・副職;マラソン選手

 (100キロマラソンに出場した過去あり)

・趣味;インスタグラム(息子をフォロー中)

・将来の夢;自給自足

座右の銘;怖い父は良き父

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とっても変人に映るかもしれませんが、

僕にとっては未来永劫厳しい頑固な父親です。

最近ではようやく減ってきましたが、

本当に細かいことでよく怒られてきました。

僕だけでなく、

家族全員に厳しい父親ですが、

外向けは本当にいいのよ〜というのを

おかんから聞いたことがあります。

親父の仕事の様子とかを見たことがないので

定かなのかは分かりませんが、

一緒に寿司とか食べに行くと

寿司屋の大将とは本当に仲良さそうなので、

おかんが言うてることも間違ってなさそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外には良くしてるのに身内には厳しい、

なんでやねんと思いますが

厳しくしてくれたおかげで

まっすぐに育ってこれたのも事実です、

時々曲がりましたけど。

僕が弟だけにむかつくのは

この親父の性格を受け継いでいるからなのかなと

最近よく思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は父親になったことがないので分かりませんが

もしかすると父親というのは

そういうもんなのかもしれません。

自分の子どもがしっかり生きられるように

嫌われても事細かく指摘し続ける。

親父はおそらくなにかを伝えるのが苦手で、

不器用なので怒って伝えるしか方法が

なかったのだと思いますが、

怒るというしんどいことから避けずに

正しく教育してくれたみたいです。

親父ありがとう〜〜

面と向かって言うたことないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親父と似てコミュ障というか

何かを伝えるのが苦手な僕ですが、

思いやりを忘れないうようにして、

単にムカつくから怒る、

ということがないようにしたいですね。

この前は机を蹴ったことからもわかるように、

単にムカついていただけでした。

いくら相手が弟とはいえ、

そういうのはやめようーと思ったという話でした!

こんなことを思いつくぐらいには

単調な日々を送っています、

またコロナが増えてきてうんざりですが、

うんざりは皆さまも同じことですし

安心して旅行とかに行ける日を

待ちわびようと思います。

頼むから学生のうちにそんな日が来てくれ!

 

私の嫌いな人たちへ

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嫌いな人とは関わらない方が良い。

それは間違いないことでしょう。

せっかくの人生、嫌いなことに時間を費やすのは惜しい。

まして人など70億も存在するものなのに

私たちはその1億どころか

もっと少ない数の人としか関わろうとしない。

多い人でインスタのフォロワーは1000人しかいない。

その1000人全員と仲良いわけもない。

あ、私はフォロワー200人ちょいです。

大丈夫。元気にやってますよ。

きっとこんな文章を1人楽しく書いているので

友だちができないのでしょうね。アハハハハ。(笑えへん)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、この流れからいくと

友だちの作り方をつらつらと述べそうですが

そんなもんあるなら教えて欲しいぐらいですので

私はもっとひねくれた視点から、

嫌いな人たちと関わらない方が良い、

それは果たして本当にそうなのかを

少し考えてみることにします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冒頭でも触れたことですが、

一度きりの人生、

嫌いな人と関わる必要はあるのでしょうか。

 

ない。時間の無駄。生産性が悪い。

意識の高い人たちが言いそうですね。

生産性てなに。

 

いやいや嫌いな人とも関わらないといけない。

例えば職場の上司とか、

関わりたくないけど関わらないといけないこともある。

将来の私が言いそうですね。

頼むから平和な職場でありますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おそらく後者の考えに共感していただける皆さまも

できるだけ嫌いな人がいない世界で生きていきたい、

そんな思いはあるはず。

でも私たちは、いや、皆さまのことはそんなに知らんので

私は、にしますが、

私は、好きな部分よりも嫌いな部分の

ウェイトが少し勝るだけで

『嫌いな人』という位置付けをしてしまいます。

なので嫌いな人がいない世界なんて

ほとんどありえないことやと、

それは綺麗事すぎるもんやと、

残念ですが、そう認識している次第です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもその思考巡りの中で気づいたことがひとつ。

もしかしたら嫌いな人でも

好きなところはあるんかもしれん、

嫌いなところだらけなわけじゃなくて。

もちろんほんまに嫌いなところだらけで

どうしようもない場合もあるんやろうけど、

いくら嫌いやからといっても

その人の好きな部分、良いと思う部分を

すべて無視することは

いかがなものかと、そう思ったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たとえば。

私はノリが全てやから、とほざくやつが

腐るほどに嫌いです。

ノリが悪いとがっかりするやつ。

よく聞くでしょう。

ノリ悪っ、とかね。

結局ノリやから!とかね。結局てなんやねん。

だいたいノリっていうのは人それぞれ違うもので

その人のバックグラウンドによるものやろうに

なにを無理やり統一しようとしてるのか、

さっぱりわからんもんです。

こっちからするとノリ悪っ、がノリ悪いわという感じです。

私がノリあんまり良くない代表ということもありますが、

こんなやつとは関わらんとこうと思ったのは

これまでたくさんあったように感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でももしその人が道端のゴミを見逃さず

ゴミ箱へ持っていってたらどうでしょう。

結局ノリ、ノリが全てというのなら

そのゴミ拾いもノリ故なのかもしれませんが

そんなノリなら悪くはないと思えてきませんか。

普段よく見るのが腐るほど嫌いな

ノリ至上主義のやつでも、

ゴミ拾いしてるところが見えれば

いいとこあるんやなぁと、

少しぐらい思えるのではないでしょうか。

ゴミ拾いてまたベタな例でしたが

私は環境学を専攻していますので

人一倍ゴミ拾いにはキュンとくるわけです。

ぜひ私の前でゴミ拾いしてください。

見逃してたらすみません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

要は関わらんとこうと思ってる嫌いな人でも

良い部分がきっとあって

その良い部分まで嫌いになる必要はないんちゃうかなと

そういうことであります。

嫌いな人っていうだけで

話したくもないし会いたくもないしっていうのは

痛いほど気持ちがわかりますが、

少しその人の良い部分、

好きになれそうな部分を見ようとすることも

大事ではありませんかね。

それでそういうところが見つかれば万々歳です。

もしゴミ拾いしてるところが好きなのであれば、

その人がゴミを拾うように仕向け続ければよいのです。

でもその過程であなたはポイ捨てしてることになるので

自分から言い出したことですが、私はあなたが嫌いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やからもし皆さまも

たとえば職場とか、友だちとか、

そう簡単に縁を切ることができない人たちの中に

嫌いな人がいるならば

その人の好きになれそうなところを

ちょっと見つけてみようとしてみてはどうですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうひとつ付け加えさせてもらえるなら、

あなたが好きなようにその人をカスタマイズするのは

微妙かなと思います。やりすぎるとね。

その人にも生きてきた過去があり、

育ってきた環境も違う、周りにいた人たちも違う、

1分1秒の過ごし方がまるであなたとは違うのです。

そんな人に無理やりこういう風に生きてください、

そうすれば私はあなたが好きです、というのは

少し自分勝手なことでしょう。

ちょっとぐらいなら日常茶飯事なことやと思いますが、

あれも変えてこれも変えてとやると

それはあなただけが好きなその人になってしまうし、

その人側からしてみればえらくあなたは

傲慢な人に映っていると思います。

お気をつけ下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、偉そうなことをつらつらと書いてきましたが、

最後に、私の嫌いな人たちへ。

このブログを読んでくれている時点で

私はあなたのことが相当好きですが。

もしかしたらノリが全てという方も

読んでくれていることでしょう。

そのタイプだけちゃうけどね嫌いなんは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はあなたのことが結構嫌いです。

できるなら会いたくないし

この先関わりたくないなぁと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただあなたのことを尊敬しています。

あなたには嫌悪するところが多くありますが、

尊敬すべきところもいくつかあります。

例えば自分もそれを真似てみたり、

ただただあなたのそれを見て感心するだけで、

私はより良く生きていけるのだと思います。

せっかく1回しかない人生なので

より良く生きていく、をアップデートし続けたい。

そんな思いがありますから、

今後もあなたの好きな部分を探していく所存です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かく言う私も

たくさんの人に嫌われていることでしょう。

私が嫌いなあなたも

私のことが嫌いですかね。

大した教養もないくせに

鼻につくような文章を書き続けているし

そんなに書き続けてもないのに

書き続けてるとか言うてかっこつけてますもんね。

もちろん私は嫌われたくはありませんが、

もう嫌われてるならそれはそれで仕方のないことやと

思って生きていこうと思います。

その代わりと言ってはなんですが、

少しでも良いと思ってもらえるところ、

好きやと思ってもらえるところ、

尊敬しようと思ってもらえるところを

増やしていけるよう精進したいと思います。

なのであなたも私の全てを

嫌いにはならないでいただきたい。

図々しいこと極まりないですが。

なんならお前の1ミリだけ好きなところは〜、と

連絡していただければ嬉しいですよ。

私のことが嫌いと言うてるようなもんですがね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて少し長くなりました。この辺にしておきます。

私の嫌いな人たちへ、ということで、

写真は私の嫌いなやつの写真にしてみました。

ハリーポッターに出てくるうるさい植物です。

こいつだけはほんまに嫌いです。好きなところありません。

これを引っこ抜くおばさんはちょっと好きです。

何が好きなんかはよくわかりません。