私の嫌いな人たちへ

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嫌いな人とは関わらない方が良い。

それは間違いないことでしょう。

せっかくの人生、嫌いなことに時間を費やすのは惜しい。

まして人など70億も存在するものなのに

私たちはその1億どころか

もっと少ない数の人としか関わろうとしない。

多い人でインスタのフォロワーは1000人しかいない。

その1000人全員と仲良いわけもない。

あ、私はフォロワー200人ちょいです。

大丈夫。元気にやってますよ。

きっとこんな文章を1人楽しく書いているので

友だちができないのでしょうね。アハハハハ。(笑えへん)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、この流れからいくと

友だちの作り方をつらつらと述べそうですが

そんなもんあるなら教えて欲しいぐらいですので

私はもっとひねくれた視点から、

嫌いな人たちと関わらない方が良い、

それは果たして本当にそうなのかを

少し考えてみることにします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冒頭でも触れたことですが、

一度きりの人生、

嫌いな人と関わる必要はあるのでしょうか。

 

ない。時間の無駄。生産性が悪い。

意識の高い人たちが言いそうですね。

生産性てなに。

 

いやいや嫌いな人とも関わらないといけない。

例えば職場の上司とか、

関わりたくないけど関わらないといけないこともある。

将来の私が言いそうですね。

頼むから平和な職場でありますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おそらく後者の考えに共感していただける皆さまも

できるだけ嫌いな人がいない世界で生きていきたい、

そんな思いはあるはず。

でも私たちは、いや、皆さまのことはそんなに知らんので

私は、にしますが、

私は、好きな部分よりも嫌いな部分の

ウェイトが少し勝るだけで

『嫌いな人』という位置付けをしてしまいます。

なので嫌いな人がいない世界なんて

ほとんどありえないことやと、

それは綺麗事すぎるもんやと、

残念ですが、そう認識している次第です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもその思考巡りの中で気づいたことがひとつ。

もしかしたら嫌いな人でも

好きなところはあるんかもしれん、

嫌いなところだらけなわけじゃなくて。

もちろんほんまに嫌いなところだらけで

どうしようもない場合もあるんやろうけど、

いくら嫌いやからといっても

その人の好きな部分、良いと思う部分を

すべて無視することは

いかがなものかと、そう思ったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たとえば。

私はノリが全てやから、とほざくやつが

腐るほどに嫌いです。

ノリが悪いとがっかりするやつ。

よく聞くでしょう。

ノリ悪っ、とかね。

結局ノリやから!とかね。結局てなんやねん。

だいたいノリっていうのは人それぞれ違うもので

その人のバックグラウンドによるものやろうに

なにを無理やり統一しようとしてるのか、

さっぱりわからんもんです。

こっちからするとノリ悪っ、がノリ悪いわという感じです。

私がノリあんまり良くない代表ということもありますが、

こんなやつとは関わらんとこうと思ったのは

これまでたくさんあったように感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でももしその人が道端のゴミを見逃さず

ゴミ箱へ持っていってたらどうでしょう。

結局ノリ、ノリが全てというのなら

そのゴミ拾いもノリ故なのかもしれませんが

そんなノリなら悪くはないと思えてきませんか。

普段よく見るのが腐るほど嫌いな

ノリ至上主義のやつでも、

ゴミ拾いしてるところが見えれば

いいとこあるんやなぁと、

少しぐらい思えるのではないでしょうか。

ゴミ拾いてまたベタな例でしたが

私は環境学を専攻していますので

人一倍ゴミ拾いにはキュンとくるわけです。

ぜひ私の前でゴミ拾いしてください。

見逃してたらすみません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

要は関わらんとこうと思ってる嫌いな人でも

良い部分がきっとあって

その良い部分まで嫌いになる必要はないんちゃうかなと

そういうことであります。

嫌いな人っていうだけで

話したくもないし会いたくもないしっていうのは

痛いほど気持ちがわかりますが、

少しその人の良い部分、

好きになれそうな部分を見ようとすることも

大事ではありませんかね。

それでそういうところが見つかれば万々歳です。

もしゴミ拾いしてるところが好きなのであれば、

その人がゴミを拾うように仕向け続ければよいのです。

でもその過程であなたはポイ捨てしてることになるので

自分から言い出したことですが、私はあなたが嫌いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やからもし皆さまも

たとえば職場とか、友だちとか、

そう簡単に縁を切ることができない人たちの中に

嫌いな人がいるならば

その人の好きになれそうなところを

ちょっと見つけてみようとしてみてはどうですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうひとつ付け加えさせてもらえるなら、

あなたが好きなようにその人をカスタマイズするのは

微妙かなと思います。やりすぎるとね。

その人にも生きてきた過去があり、

育ってきた環境も違う、周りにいた人たちも違う、

1分1秒の過ごし方がまるであなたとは違うのです。

そんな人に無理やりこういう風に生きてください、

そうすれば私はあなたが好きです、というのは

少し自分勝手なことでしょう。

ちょっとぐらいなら日常茶飯事なことやと思いますが、

あれも変えてこれも変えてとやると

それはあなただけが好きなその人になってしまうし、

その人側からしてみればえらくあなたは

傲慢な人に映っていると思います。

お気をつけ下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、偉そうなことをつらつらと書いてきましたが、

最後に、私の嫌いな人たちへ。

このブログを読んでくれている時点で

私はあなたのことが相当好きですが。

もしかしたらノリが全てという方も

読んでくれていることでしょう。

そのタイプだけちゃうけどね嫌いなんは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はあなたのことが結構嫌いです。

できるなら会いたくないし

この先関わりたくないなぁと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただあなたのことを尊敬しています。

あなたには嫌悪するところが多くありますが、

尊敬すべきところもいくつかあります。

例えば自分もそれを真似てみたり、

ただただあなたのそれを見て感心するだけで、

私はより良く生きていけるのだと思います。

せっかく1回しかない人生なので

より良く生きていく、をアップデートし続けたい。

そんな思いがありますから、

今後もあなたの好きな部分を探していく所存です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かく言う私も

たくさんの人に嫌われていることでしょう。

私が嫌いなあなたも

私のことが嫌いですかね。

大した教養もないくせに

鼻につくような文章を書き続けているし

そんなに書き続けてもないのに

書き続けてるとか言うてかっこつけてますもんね。

もちろん私は嫌われたくはありませんが、

もう嫌われてるならそれはそれで仕方のないことやと

思って生きていこうと思います。

その代わりと言ってはなんですが、

少しでも良いと思ってもらえるところ、

好きやと思ってもらえるところ、

尊敬しようと思ってもらえるところを

増やしていけるよう精進したいと思います。

なのであなたも私の全てを

嫌いにはならないでいただきたい。

図々しいこと極まりないですが。

なんならお前の1ミリだけ好きなところは〜、と

連絡していただければ嬉しいですよ。

私のことが嫌いと言うてるようなもんですがね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて少し長くなりました。この辺にしておきます。

私の嫌いな人たちへ、ということで、

写真は私の嫌いなやつの写真にしてみました。

ハリーポッターに出てくるうるさい植物です。

こいつだけはほんまに嫌いです。好きなところありません。

これを引っこ抜くおばさんはちょっと好きです。

何が好きなんかはよくわかりません。