22の愚痴

私はここ1年、卒業論文と対峙している。通称ソツロンである。

 

 

【2月初め】

私の大学というか私の学部学科では1月中旬に教務へ卒論本文を提出することが義務付けられていた。切実にそれで終わりにしてほかったところだがそうもいかず、今は2月中旬の発表に向けて要旨やらパワポやらをまとめている。自分で作成したのち教授にご添削していただくのだが、これがまるで22年間の人生を全否定されるがごとく浴びせられる懲罰なのである。このように修正してください、と指示されるならその通りに書けば良いのでまだしも、ここが意味わからないので再考、とのご指摘はいとも簡単に私を戸惑いの世界へ誘い、しばらくその世界に閉じ込めてくれる。意味がわからないって言われましてもこちらもあんまり意味わからないですとしか言いようがない。

 

 

 

 

さらに厄介なのが、発表が終わっても添削はまだ続くという噂を耳にしてしまったことである。厄介すぎていっそ聞かなかったことにしたいが、去年めでたくご卒業された先輩の卒論ファイルを確認したところ、最新更新日は3/9であることが発覚した。

 

 

 

 

 

 

 

──死にたい!

 

 

 

 

 

 

 

 

何をそんなに添削することがあるのだろうか。もっと簡単に卒業させてくれても良いのではないか。大学とは監獄なのか。監獄の図面の刺青を身体に入れなければ脱出できないプリズンブレイクのように、卒論もそこまで身を削らなけければならないのだろうか。もしかして卒論本文の刺青を身体に入れた暁には終えることができるのだろうか。

もしそうなら私は喜んで刺青を入れることにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【発表後】

そんなこんなで、今日発表が終わった。漢字2文字で発表の出来を表したい。「散々」である。

 

研究内容はそこまで悪くなかったと自負しているが、なにしろ量がとても多かった。マジメに4月から取りくみ続けたことが仇となり、発表時間として設けられた10分ではとても言い切れないほどの量になってしまった。教授からも量が多すぎるね、と事前に言われていた。いや、あんたがやれって言うたからやったんですけど?と常に疑問を抱えながら発表に臨むと、案の定早口で発表することになり、聞いている人たちの頭の中に「こいつ何言うてるんや」を見事に爆誕させてしまった。それは質疑応答に移ってからこの世の終わりかと思うほどに沈黙が続いたことからも明らかと言える。あぁ、卒論みたいな言い草になってしまった。一刻も早くこんな口調から解放されたい。

 

 

 

 

 

 

 

沈黙は続いたが、とても優しい教授の方が質問してくださった。

 

──とてもたくさん話されてましたが、調査で大変だったことはありますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・気を使ってくれている!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これはもう「何か質問してあげないとかわいそうだ」と思われた故の質問と見てまず間違いないだろう。なんて答えやすい質問なのだろうか。大変だったことなんて次から次へと思いつく。本当は「教授の機嫌を損なわないように研究を進めることが何より大変でした」と答えたかったところだが、そんなことを言えば卒業が危うい。アンケート調査が大変でした、と誰でも言えるようなことをドヤ顔でぬかし、潔くその場から去ってやった。いや、去ってやったというより、去りたかった。去らせてほしかった。もうこれ以上、気を使ってもらうのも申し訳なかった。幸い司会者が空気を読んでくれたおかげで私の発表は無事に幕を閉じた。無事ではない、大事故を起こして幕を閉じた。そんな幕の閉じ方あるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく発表は終わったのだ。嬉しい。添削は続くと言われているが、もうそこまで厳しい添削を受けることはないだろう。そんな思いを馳せていたところ、発表後に教授からこう声をかけられた。

 

「いや〜学会には出すんだけどさ〜どの学会に出そうかな〜2月頑張らないとね⭐︎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学会に出す話は事前になんとなく聞いていた。でも無知な私は自分が書いた卒論本文を勝手に学会に出してもらえるものだと思っていた。つまりは、とりあえず卒論を完成させればもう何もしなくても大丈夫だと思っていたのだ。

じゃあいったいなにを頑張ればよいのだろうか。頑張らないとね⭐︎じゃねーよ、こちとらもう死ぬほど頑張ったんですよ、今日以降頑張るつもりなんてあんまりないですよ・・・え、まじで何を頑張ればいいんすか・・・?と最初は反抗的な態度を示しつつも不安の微増が止まらなくなったので、同じゼミ室の学生に「学会に出すってことはなんかやらんとあかんの?」と聞いてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

──要旨を7ページぐらいでまとめるんちゃう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・死刑を言い渡されたような気分である。7ページぐらいの要旨をつくる・・・?発表会の要旨2ページをつくるだけであんなに苦労したのに・・・?あれの3.5倍だ・・と・・・?

不可能である。決して盛った話ではない、これは不可能な話である。どれぐらい不可能かと言うと、なにも悪いことをしていないのに急に死刑を宣告されてそれを受け入れるぐらい不可能である。これを受け入れた暁には私は死んでしまうと言っても過言ではない。誰が死ぬとわかっていて受け入れるのだろうか、私はまだまだ生き残りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからというもの、よくある天使と悪魔の囁きが私の頭の中を駆け巡り続けている。

私の中の天使は、要旨を7ページつくり死ねと言う。私の中の悪魔は、ボイコットして生き延びろと言う。

まさか天使に死ねと言われ、悪魔に生き延びろと言われる羽目になるとは思いもしなかったが、今回ばかりは悪魔の囁きに思いっきり耳を傾けたい。ここまで丁寧にご添削していただいた教授には大変申し訳ないことだが、ボイコットさせていただきたい。今現在、世界中でボイコットしている人は少なからずいるのだろうが、誰ひとりとして「させていただきたい」というへりくだった姿勢でボイコットはしていないだろう。その点評価していただけると幸いである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなことを言っているが、結局のところ私にボイコットする勇気などはない。どうせ死にきれないまま要旨を作るのだろう。「すぐに死なせてたまるか、死ぬより辛い思いをさせてやる」のやつである。私はこれから死ぬより辛い思いをするのだ。とっても逃げ出したい気持ちだが、私はこれまで優等生と呼ばれ続けてきたと思う(?)ので、ぐれ方が全くわからない。そんなん教授からの連絡無視し続ければいいだけや〜ん、とこれまで何度もぐれてこられた方には言われそうだが、私には1日無視できるマインドさえ理解できない。情けないことだが教授からの連絡を無視するなんて、パラシュートなしのスカイダイビングぐらい怖い。なのである意味、私はぐれることができる方を尊敬している。パラシュートなしで上空3000mから飛び降り無傷で着地しているようなもんなのだ、そりゃ尊い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気づけばなぜかスカイダイビングの話をしていたが、久しぶりに書いたブログでたくさんの愚痴をこぼすことになった。まずは皆さま、私のこんなくだらない話を聞いてくれてありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はこれまであんまり愚痴とかの類を言ってこなかった。というのも私は八方美人なところがあって、愚痴を言わない自分に惚れていたし、誰からも良く見られるには何も言わないのが手っ取り早かったのだ。よく見られたいっていうのも人間の欲求として普通だと思っていたし、実際何も言わなければよく見られることは多かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも私の場合、これを過度にやりすぎた節がある。私は今、重度な八方美人症である自分とおさらばするため日々格闘している。みんなから良く見られようとしすぎたせいで、欠陥のない自分を演じすぎたせいで、人によって自分を変えて接しすぎたせいで、私は自分がどういう人間なのかよくわからなくなった。自分でさえ素の自分がよくわからないし、それがとても苦しいと今は思ってしまう。いつも人任せで自分の在り方を決めてきたので、自分が大切にしていることもわからないし、もしかしてないのかもしれないとも思う。常に考えて考えて考え抜いて生活している人を見ると、素直にすごいなと思う反面、自分が何も考えていないことに拍車がかかっていくようで辛くなってしまう。ていうかこれまで意識しなかったのでわからなかったが、だいたいの人がめちゃくちゃ考えて生きていることを最近知った。すごいけど、辛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

辛い辛いとこぼしているが、私にそんなことを言う資格はない。これはここまで"なんとなく"生き続けてきた自分が悪いし、周りの誰が悪いというわけでは毛頭ない。これから自分を自分らしく形成していくには、少なくとも八方美人な自分とは決別して、いついかなる時も取り繕うクセを直さないといけない。直さないといけないことはないのかもしれないが、直したいと思ったので直すことにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これまで以上にブログも自分のために書き綴ろうと思うので、方向性は変わるかもしれませんが、それでも読んでいただけるという方は引き続きよろしくお願いします。いつも読んでくれて、あなたが思う以上に私は感謝しています。引き続き読んでくださると、これ以上の喜びはありません!