受験期を細かく振り返りました

 

おはようございます。いきなりですがまず、最近更新が滞っていたわけをたっぷりと説明します。

 

 

いつのことやねんという感じですが、毎朝10時まで爆睡し続けた冬休みが終わり、早起き学校生活が始まりました。バイトもたくさん入ってまして、夜は遅くまで起きているので、とにかく最近はもう眠いです。朝授業に出ないといけないので、母の叫びにより無理やり身体を起こし、半分寝たような状態で最寄り駅まで早歩きし、その先に待つものは暑苦しい満員電車です。そんな状態で皆さんの期待を超える面白いブログが書けますでしょうか。答えは否です。

 

 

 

 

 

 

これまで満員電車で書き続けてきましたが、最近はどうも書く気が起こりません。書く気が起こらんって、ブログに飽きてるだけやん〜、と思ったそこのあなた、今すぐその考えは捨てましょう。飽きているのではなく、面白いブログを書きたいのです。どうかご理解下さい。しょーみ若干飽きてるやろ?と思ったそこのあなた、ちょっと正解。

 

 

 

 

 

 

 

ということで、面白いブログを書きたいのですが、僕が自分で分析した結果(=おもいっきり主観)  、時系列で年表っぽく書いた記事が面白い、という結論に至りました。過去にあげた記事で、"人生を超簡単に振り返る"や"2018年間振り返り"などがありますが、どちらも同じ書き方をしています。"人生を超簡単に振り返る"は、多分僕の書いた記事の中で1番面白く、アクセス数もすごかったので、ぜひもう1度ご覧になっていただければ幸いでございます。"2018年振り返り"は自分の中では面白いのですが、アクセス数は伸びませんでした。意味がわかりません。

 

 

 

 

 

 

ということで、今回もその書き方で何を書こうかなと考えているところでございます。そうです、僕はこれを書こう、でブログを始めるのではなく、とりあえず書いてみてから何を書くか考え始めます。最初に満員電車がどうのこうのとか、ほぼ毎回母エピソードが出てくるのは、書きながらネタを考えているからです。母エピソードは即興で書けます。ちなみに母は僕がブログをしていることなんて微塵も知りません。ごめんね母。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、今の文章もネタが思いつくまでの時間稼ぎなんですけど、全然思いつかないので、もうネタが被っちゃいますけど、受験期を振り返りたいと思います。前のアカウントでも受験について書きましたが、あれはまあまあ雑に書いたので、今回はもう少し詳しく、書きます。ちょうどセンター試験の季節ですし、僕の経験してきたことで間違いなく受験期が1番中身の濃い出来事だったので、もう一度書くことをどうかお許しください。それでは、振り返りです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高3 4月

サッカー部を早々に引退し、必ず志望校に受かってやると誓う。ちなみにこの時は大阪市立大理学部数学科志望。分かる人にしか分からない話かもしれないが、ガリレオシリーズ容疑者Xの献身で犯人役の堤真一のようになりたくて数学科志望。今考えると、犯人になりたいってサイコパス説濃厚。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月

授業終わりに数学科目指しますと軽く言うと、数学科はやめといた方がいいですよ、と数学の先生に言われる。言葉が出ず、崩れ落ちそうになる。数学の先生に数学科目指しますって言えば間違いなく後押ししてくれると思っていたが故に、崩れ落ちるレベルも半端ではない。完全に志望校を見失い、露頭に迷う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月

英語がだんだんできるようになってくる。長文を読めば目がチカチカして全く内容が頭に入ってこなかった高2の時に比べ、著しく成長。また、大阪市立大に高校の制服で侵入し、見学。その時に食べた学食の味のインパクトがなさすぎて、大学から選びなおす必要があることをここで認識。志望校選びはさらに続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月

英語の調子が良い。さらに数学の才能が眠っていたことも理解し、もしかしておれ賢い?と誤認識。その誤認識には当時気づかず、志望校をあげようと神戸大学を視野に入れる。夏休みに神戸大学を見学。学食の味は悪くない。1時間ほどで退散し、その後は須磨の海で少し遊ぶ。典型的なダメ受験生。

 

 

 

 

 

 

 

 

8月

模試でまあまあの点数を叩きだし、誤認識がより深まってしまう。志望校を神戸大学にあげ、さらに国際人間科学部という、なんとも新時代の訪れを感じさせる学部にしか目がいかず、色々なことができるということにも惹かれ、志望校決定。8割ぐらいカッコよさで決めてしまったことは自分でも忘れるようにしている。大学生になった今、どうしても1つの分野に決めてしまいがちな受験生に、"色々な分野を学べる学部に行くのも手やで"、とアドバイスするバイトをしている。もう1度言うが、自分の志望校を8割カッコよさで決めてしまったことはもう忘れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

9月

2次対策に移る。大学の方々は笑わないで聞いて欲しいが、こんなにも難しい問題を解けるようにならなあかんのか、と絶句する。特に化学が1ミリも分からず、"宇宙1わかりやすい化学"という参考書を購入。宇宙1わかりやすかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

10月

2次対策に没頭していたせいで、センター模試で点数がガタ落ち。ここでかの有名なリュック叩きつけ事件(模試の点数が悪すぎて、家に帰り、無言でリビングに向かい、母がどうやった〜模試?と聞いてきた後、間髪入れず床に背負っていたリュックを一本背負いで叩きつけ、母、弟、ウサギを震撼させた事件)発生。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11月

さっきの模試は塾で受けた模試で、11月に学校で受けた模試が返ってくる。担任が返す前に一言、"この中にもうA判定の強者がいるよぉ!" 1分後、自分の帳票に光り輝くAの文字が。なんと第1志望校A判定。視界がパーッと開けて300度ぐらいになり、アドレナリンが湧き出る。その日が夢のようで眠れなかったことは一生忘れないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

12月

塾の模試はしっかり現実を見せてくれた。アドレナリンが1ミリも出ないどころか、出る気配がない、そもそもアドレナリンとはなんや?ぐらいの点数を取り、もうこの時はリュックを床に叩きつける体力もなく、自分の周りにどんよりとした空気が流れる。センター1ヶ月前、1周回って不安と焦りがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1月5日

学校で受けたセンタープレの結果は目標点マイナス150。元気 という概念が自分の中から消え去る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1月13日

センター試験当日。隣の席は貧乏ゆすりの達人。毎秒10回程度の振動がちらつくが、しっかりと自分のペースを保ち、初日を終える。

 

 

 

 

1月14日

センター試験2日目。貧乏ゆすりの達人、さらに貧乏ゆすりを加速。流石にこれはちらつくでは済まず、少しペースを乱して終了。結果はほぼ目標点。母と熱いハイタッチを交わす。この経験から、10日間死ぬ気で勉強すれば結果はわからんで、というアドバイスも生徒に伝えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

2月

2次力がなかなか上がらない。毎日朝は学校の特別講義を受け、昼から塾にこもり、夜遅くに帰る生活。疲れとストレスから頭にデキモノができてしまい、かさぶたになるまで潰し続ける。そのかさぶたを剥がすのが唯一の楽しみと言えるほど、人としてぶっ壊れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

2月25日

前期試験当日。朝からお腹が緩くてたまらない。英語の試験では5分腹痛を抑えることに専念する。得点源にしようと思っていた数学が超超超難化、頑張ってきた化学がやっぱりわからない、物理は、物理ってやる意味ある?と小学生みたいなことを思うほどにわからない、と結果は散々。帰り道、頭の中を"四谷"の2文字が占領し、黄色のものを見ると吐き気がする(四谷のイメージカラーが黄色であるため)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月

どうせなら最後までもがいてやろう、と思った自分を本当に褒めたい。後期受験は数学だけの受験だったので、ひたすら問題を解く。血が出るほどペンを握り(血が出たとは言っていない)、紙が破れるほど消しゴムを使い(使い方が下手なだけ)、とにかくひたすら問題を解く。数学の問題と仲良くなろうとすることが大切だと感じ、一生懸命語りかけるも、結果振り向いてはもらえない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月12日

後期試験当日。お腹は緩くない。受験会場にいる人が全員賢く見えるという病気を発症。前期試験よりは簡単だったものの、普通に難しく、終わった後、落ちたぁと身体から力が抜ける。母に落ちたわ多分、と言うと、予備校探さなあかんなぁ、と当たり前のように予備校に行かしてくれる家庭環境に号泣しそうになるが、涙は一滴も落ちない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月21日

後期試験結果発表。時間は9:55を迎える。お腹の調子が悪くトイレに駆け込む。そういえば10時発表やん、と気づき、携帯を準備。頭の中はどうせ落ちてるわぁが9割を占め、残り1割はお願い!頼む!が占める。時間は10:00を迎え、覚悟を決め確認。そこには見慣れた5桁がある。汚い話で申し訳ないが、パンツを履いてる余裕も、お尻を拭く概念もその時はなく、扉を開け、机の上の受験票にまっすぐ進んでいく。見慣れた5桁が見慣れた5桁であることをしっかりと1分ほどかけて確認して、歓喜の叫びを家中に響かせる。母不在であったため、電話で連絡。母、号泣。この時、やっと、やっと、受験の終わりを感じ、脱力し、疲れがドッと押し寄せてくる。なんとか現役で、大学生になることが決定。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、長かったですが、まずはここまで読んでいただき、感謝します。自分で振り返ってみて、やはり受験期の記憶は脳にこびりついていることが分かりました。とにかく鮮明に覚えています。これから先も忘れることはないでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分で言うとおこがましいことは百も承知ですが、こんなに劇的な受験はあるでしょうか。前期試験が終わり、落ちたことを確信し、予備校という概念が、どうしても頭から離れませんでした。"駿台はなんか嫌"を何度口にしたことでしょう。"四谷しかない"を何度口にしたことでしょう。それでも周りの人たちは、諦める直前まで精神的に沈んでいた僕をサポートしてくれました。本当にありがとうございます。ガラケーぐらい身体を折って感謝したいです。

 

 

 

 

 

 

長くなってしまいました。どうですか、この年表っぽく書く方法。まあまあいいと思うんですけどね。よければまた感想お聞かせ下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日はこの辺りにします。

 

 

 

 

では!

 

 

 

 

 

大阪市立大の学食にはインパクトがないというのは、ただの味覚音痴高校生が感じたことであり、そんなことは全くございません。しっかり美味しいと思います。