どうにもならない

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こんにちは。

画像に意味はありません。

こういう自然感溢れる景色を

調べては保存する毎日です。

毎日ではない。

 

 

 

 

 

 

前回のブログ、好評でした。

たくさんの方から感想をいただきました。

モチベーションになります、

ありがとうございます。

ぜひまた寄せてください。

 

 

 

 

 

最近は就活してるせいか、

自分の考えを大事にしがちです。

考えを押し付けたいわけではなく、

自分がどう考えてるのかを

文章にしてみたい、残しときたいのです。

それをもし読んでくれて

感想を言ってくれる人がいるなら、

ブログを使わない手はありません。

 

 

 

ということなので

時にはおもしろくなさそうな、

もしくはおもしろくない文章を

書くことになるかもしれませんが、

その辺は皆様よろしくお願いします。

見るも見ないも自由ですから。

おもんないっていう感想は

基本的に受け付けてませんので、よろしくです。

 

 

 

 

 

 

さて、

今日はふと思いついたことについて

書こうと思います。

タイトルの通りです。

 

 

 

 

 

 

 

 

生きてればどうにもならないことが、

どんな人でもあるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

僕で言えば、サッカーです。

サッカーは幼稚園からやってました。

周りよりも比較的

早めに始めてると思います。

でも、僕は高校のサッカー部で

ほとんど公式戦に出てません。

 

 

 

努力はし尽くしましたと思います。

部活以外でも、たくさん練習しました。

自分の課題を見つけては

それを克服する努力をし続けました。

でも、出れませんでした。

 

 

 

 

 

 

もうこればっかりは

どうにもならないことなんです。

もちろん、もっと努力できたと思うし、

努力の仕方も、今考えれば、

もっといい方法があったと思います。

もっと頭使って努力できたやろうに、

高校生までの僕はただがむしゃらに

やってただけでした。

 

 

 

でもそれは今考えればの話で、

その時に思いつかなかったり、

その時の全力を尽くしていたのなら、

十分やった結果だと、

言ってもいいのかなあなんて思います。

 

 

 

 

 

自分を慰めたいわけではありません。

誰かにわかってほしいわけでもありません。

昔からやってるのに、

とよく言われてきましたが、

その度に悔しい思いをするだけで、

これまでもこれからも

誰かに同情してほしいとは思いません。

 

 

 

 

 

 

 

どうにもならないっていうのは、

ある程度時間が経たないとわからない、

それを皆さんに伝えるために

自分のどうにもならなかったことを

書き出しました。恥ずかしい限りですけど。

 

 

 

 

 

努力が報われなくて

めちゃくちゃ悔しい思いをしてる時は

なぜ成し遂げられなかったのか、

そればっかり考えてしまいます。

たくさん努力してるのにも関わらず、

成し遂げられなかった原因は

自分にあるもんやと思い込んでしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

でも十分にやった結果なんです。

成し遂げられなかった時は

めっちゃ悔しい思いをしたらいいし

めっちゃ泣いてもいいと思います。

ただ、後々その時のことを思い返して

また悔しい思いをして、ってやるよりも、

どこかで折り合いをつけて、

どうにもならないことやってんなあ、

それぐらいで捉える方がいいんかなあ

なんて思っています。

自分に甘いですね。確かに甘いです。

でも自分に厳しくするのは、

成し遂げられなかった時だけでいいんです。

ずーっと自分に厳しくしてても疲れるだけですからね。

 

 

 

 

 

僕は最後の試合、出られなくて

家に帰ってから死ぬほど泣きました。

おかんはそっとしといてくれましたよ。

さすがおかん。素晴らしいおかん。

泣き疲れてめっちゃいい睡眠をしたことも

覚えています。14時間ぐらい寝ました。

ずーーーっと出られなかったことが

悔しくて頭から離れませんでしたが、

自分の中で折り合いをつけてからは、

頑張って努力してた自分が

ちょっと、ほんのちょっと、誇らしくなりました。

自分で自分が誇らしいってダサいですね。

でも多分それでいいんです。

 

 

 

 

 

どーにもならなかったね、で

自分を責めることを一旦やめて、

それよりも次どうにかなるように

めっちゃ頑張れ、自分!お前は誇らしいから。

ってなる方が良いんですよ。多分ね。

誇らしくなる必要はないんやけども。

 

 

 

 

なんぼでも挽回のチャンスはありますから。

生きてるうちに成功したらいいでしょう。

人生で1回も成功しなかったとしても、

それはそれで逆にすごいことです。

失敗だけの人生。

きっと失敗の数はギネス記録でしょう。

ちなみに僕は自分調べですけど、

ミンティアのクリスタルシルバー味を

食べた個数のギネス保持者です。

こんなくだらんギネスでも嬉しいですよ。

ギネスってすごいわ。

 

 

 

 

 

なので皆さんも、後悔してることあれば、

どーにもならんことやったなぁ、と

一旦許してみるのはどうでしょう。

宗教みたいやけど。

 

 

その時にできる最大のことは

皆さんしてると思います。

なんも知らんけどね。

次大事なところで後悔しないように、

頑張ってください。

無理やったら、その次。

それも無理やったら、その次の次。

人生は長いですから。

いつか、どうにかなりますて。

それまで気長に頑張りましょう。

 

宗教やなこれ。

 

おかん

 

 

こんにちは。お久しぶりです。

何回宣言しても更新し続けられません。

まあ許してください。

テストもあるし就活もあるんです。

半年後にはテストも就活もないでしょう。

やからそれまで待っててください。

 

 

 

 

 

 

 

 

この前の土日、センター試験でしたね。

受験にまつわる僕の話は

もう書き尽くしたので書きませんが、

その流れでひとつ、

書きたいことが見つかりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

後期試験の合格発表の日、

僕は家のトイレで携帯を触りながら

10:00になるのを待ち構えていました。

 

まさか受かるわけがない、

そう思い込んでましたし、

多分落ちてると思う、

おかんにはそう事前に言ってました。

 

 

自分の受験番号がサイトに表示されてたのを

見てすぐにおかんに電話をかけました。

トイレの中で。すいません汚い話で。

 

 

 

おかんはびっくりしてましたが、

その後すぐに号泣してました。

思い返せばおかんの泣いてるところなんて

ほとんど見たことなかったし、

おかんも多分、

あんまり僕に泣いてるところなんて

見せたくなかったでしょう。

おかんはお寿司、買って帰るわ、

とだけ言って電話を切りました。

お寿司、やっぱり大好きです。

 

 

 

 

 

 

 

それから時は流れ、

もう受験から3年経ちます。

3年経って、僕も就活生になり、

自分のことを深く考えていく時期です。

 

おかんみたいな人になりたいと

今は考えています。

 

せっかくなのでオカンをテーマに

ブログを書いてみようと思った次第です。

 

 

 

 

 

 

もちろん受験期だけじゃないけど、

おかんはあの時、めちゃくちゃ僕に

気を使ってくれました。

 

 

 

弟も中3で、ダブル受験で、

私立の高校に行くことが決まってたのに、

僕には浪人してもいいからね、

と言ってくれました。

僕は自分のことに精一杯で

全く気づきませんでしたが、

あの時おかんには、相当負担を

かけていたんだと思います。

 

 

 

 

毎朝、お弁当を作ってもらってたことの

偉大さに気づいたのは、自分でちょっと

料理するようになってからです。 

 

レトルトのカレー温めるだけでも

めんどくさいのに、

毎朝早く起きてくれて、

受験期、謎にとんぺい焼きに

ハマってた僕の要望にも応えてくれ、

朝からとんぺい焼き作ってくれました。

料理してる人からすると

いや、とんぺい焼き簡単やん、

って思うかもしれませんが

ちょっとしか料理しない僕からすると

卵割るだけでもめんどくさいですよ。

 

 

 

 

毎日塾にも通ってたので

家に帰るのは夜22:30ぐらいでした。

朝早く起きてるから、一刻も早く

眠りにつきたいやろうに、

おかんはいつも22:30に

晩ご飯を用意してくれました。

 

 

 

 

 

朝なかなか起きれない僕は

起きれないくせに

学校に早く行って勉強する、

とおかんに伝えました。

おかんは何も言わずに、

次の日少し早めに叩き起こしてくれました。

 

 

 

 

 

おかんは本当によく僕を見てくれています。

何も言わなくても模試の点数が悪かったこと

はすぐにわかってくれました。

僕がイライラしてる時は

そっとしといてくれたし

イライラが収まってから

ご飯を食べさせてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

受験期だけに関わらず、

僕はこれまでたくさんの迷惑を

おかんにかけてきました。

 

 

 

 

幼稚園の時、アリを踏んで先生に

長い時間説教されて、

帰りのバスに乗り損ねた僕を

おかんは迎えにきてくれました。

迷惑ですよね。

アリ踏んで、乗れんかったんやから

自分で帰ってこんかい。

 

 

 

 

 

 

 

高1でヘルニアが爆発した時も、

朝学校まで送ってくれました。

仕事もあるのに。

もう歩けへん、と

弱音ばっかり吐く僕を

おかんは見捨てませんでした。

迷惑でしかないと思います。

高1男子よ、這いつくばってでも学校行け。

 

 

 

 

 

 

 

身体が弱くて僕は人生で

2度も手術しました。

まとめて持ってきてくれたらいいのに

暇な僕の相手をするため、

おかんは毎日着替えを持って来てくれました。

迷惑ですよ。

毎日息子にプリン買ってきてって言われるし。

でもおかんは何も言いませんでした。

 

 

 

 

おかんはいつも、本当にいつも、

自分を犠牲にして、自分の欲を抑えて、

好き勝手にやって迷惑ばかりかける僕を、

とてつもなく広い心で受け入れてくれました。

 

 

 

 

 

 

親として当たり前のことを

してくれたまでかもしれませんが、

僕は本当に母親がおかんで良かったです。

21歳になってようやくわかりました、

おかんの偉大さが。

おかんのように

まずは、他人、その次も他人、

その次ぐらいに、やっと自分

こんな人間になれたらいいなと

そう思います。

 

 

 

 

たくさんの愛をありがとう。

これからも長生きしてください。

今日バイト?を

1日3回ぐらい聞いてくるので

ボケていかないかどうか心配ですが、

おかんがボケても

しっかり生きていける人間になります。

 

 

 

 

 

 

まるでおかんが亡くなったみたいな

文章を書いてしまいましたが、

おかんは健在です。

今日もどうせ、寒いから鍋にした〜

と晩ご飯を振る舞ってくれます。

おかん、今日はバイトです。

22:00ごろに帰ります。よろしく。

 

 

 

確実にタバコをやめたいあなたへ

 

 

 

おはようございます。いいペースで更新が続いています。これを続けて、慣れたらさらにペースを加速していきます。ただやはり高頻度で更新するのであれば、前回のような長い文章ではなく、サクッと、本当に5分以内に読み終わるようなものがいいなと思いました。より少ない字数で楽しんでもらえるものを毎回提供できるように、精進していきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

短くまとめて書くということは、本題に入る前のダラダラとした小話は割愛した方が良いのでしょうか。大人気シリーズ(当社調べ=主観)の「母の日常」や「親父の愚痴」など、家族にまつわる小話を楽しみに読んでくださる方も大勢いらっしゃると思うので(500%いない)、そこを割愛するというのはいかがなものでしょうか(余裕で割愛すべき)。

 

 

 

 

 

 

 

 

ただほんとに一言挟むぐらいなら大丈夫だと思うので少しだけ挟むと、最近の母はアイロンをサボりがちで、親父は「ちゃんと弟の勉強を見ろ」と、ちゃんと弟の勉強を見てるかもしれない僕を一切見ることなく、遠く離れた東京の地から、LINEでお説教してきました。以上です。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕が親父よりも母を好む理由がわかったところで、本題に入りましょう。

 

 

本日はタバコに関して書きました。タバコをやめたい方、お待たせ致しました。確実にタバコを辞められる方法は以下に全て記述しました。どうぞ参考にしてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いきなりですが、方法から申しますと、

 

 

「なにがあっても吸わない、吸いたくても、吸わない、吸いたくて死にそうでも、絶対に吸わない」

 

 

 

 

これが、タバコを確実に辞められる方法です。

 

 

 

 

 

 

 

さて、喫煙者の方々。あなた方が言いたいことはわかります。「できるならとっくにやっている、できないから、わざわざお前のブログに時間を費やして方法を模索しようとしたのに、こんな記事は読む気にならない。ムカつくからタバコ吸ってこよう。」

 

 

 

 

 

一言一句同じで、驚きを隠せませんか?

 

 

そう思ったあなたでも、気づいたら読み終わっているような、おもしろみのある文章を書くのが僕の仕事です(別に仕事ではない)。お任せください。タバコ吸うのも少し我慢しなさいな。

 

 

 

 

 

 

僕自身、タバコを嗜んでいた時期がありました。嗜むと言っていいほど嗜んでいたのかわかりませんが、今年の冬から春にかけて、タール5ミリのタバコを1日5〜10本ほど吸っていました。居酒屋などに行くと、1箱近く吸ったりもしていました。そんな僕がふと、タバコを辞めたいと思い、辞めるために色々な方法を模索しました。少しずつ本数を減らす、タールを下げる、アイコスなどの電子タバコを吸う。Googleさんはたくさんの方法を明示してくれます。

 

 

ただ僕がタバコを辞めたかったのは、「お金をかけてまで身体に悪いことをしている」と言う事実が許せなかったからであり(最初から気づけアホ)、一刻も早くタバコ関連にかかる費用は0にしたかったし、一刻も早く身体への害は0にしたかったのです。

そうなると、とる行動は1つ、「これからどんなことが起こっても、、、タバコだけは吸わない、、、タバコだけは、、、必ず、、、」ということでした(こんなに大袈裟ではありません単純にタバコ吸わんとこぉぐらいです)。

 

 

 

 

 

 

 

想像が容易なことだと思いますが、辞めると決めてからは地獄の日々でした。

手元にあると必ず吸ってしまうと思っていたので、決意した日にすぐ、残り15本ほどあるタバコを箱ごと捨てました(後日、喫煙者の友人に非常にもったいなく許し難いことである、なぜくれなかったんだ、犯罪やぞ、と怒られました、知りませんそんなもん)。

コンビニに入ると魔がさしまくって買ってしまうと思っていたので、コンビニに入ること自体を禁じました(節約もできてオススメです)。

 

ただ視界からタバコをなくしても、常にタバコが脳裏によぎり、僕の場合、2週間ぐらいはその地獄現象が続きました。ただ強く気持ちを持って、とにかく我慢して我慢して我慢しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな生活を始めてから1ヶ月ほど経つと、吸いたいという気持ちはほとんどなくなりました。その感覚を覚えてからはむしろ、吸うことが嫌で嫌でたまらなくなるのです。これは本当に不思議な感覚ですが、禁煙に成功された方ならお分かりいただける感覚ではないでしょうか。あんなに手放せなかったタバコを、今となっては持ちたくないのです。おもしろいですね。

 

 

 

 

 

 

もう一度言いますが、僕が意識したのは、「なにがあっても吸わない」ということだけです。バイト先の先輩に「北川、タバコ吸わん?」と言われても「すんません、大丈夫です」と言い続けました。

 

ちなみにこの先輩には、ざっと見積もって30万ほどご飯を奢ってもらっている気がしますので、もう先輩というよりは師匠です。師匠の頼み(頼みではないですが文脈上、頼みとします、師匠は押し付けているわけではありません)を、弟子(自称)は断り続けたのです。なんて愚かな弟子(ちゃんと自称)なんでしょう。

そんな弟子(多分違う)に、師匠は今もずっと、ご飯を奢り続けてくれています。なんて素晴らしい師匠なんでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

話がだいぶ逸れてしまいましたが、とにかく伝えたいのは、マジで吸わなかったら、マジで辞めれたよ、ということです。

 

僕の場合は吸ってる期間も短くて、タール数もそこまで高いものではなかったので、重度の喫煙者の方からすれば「ビギナーがなに言うとんねん、辞めれたんはビギナーズラックや」となるかもしれませんが(ならん)、気持ちが大切なんです。自分が辞めたいと思うなら、それなりに意思を強く持たないといけません。タバコを辞めるにはそれしかありません。

 

いや、それしかありませんてことはないですが、意外と、気持ちを強く持つだけで辞めれることもあるんだよ、っていう、優しい結末を伝えたいのです。結局のところ、確実に辞めれるかどうかはあなた次第です(無責任)。

ここまで読んで頂いた方に少しでも良い影響が与えられたのであれば、嬉しい限りです。禁煙したい方は、強い気持ちを持って、頑張ってみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ということで、今日はこの辺りにしたいと思います。

今日の文章がどうかはわかりませんが、

サクッと、おもしろく。

そんな文章を綴れるように、頑張ります。

 

 

ではまた。「綴る」ってかっこいいよね。

 

 

 

フィリピン旅行記②

 

 

おはようございます。こんなに早いスパンで投稿するのはいつぶりでしょうか。サボってた分の反動が来ているだけ、ということにならないよう、定期更新を心がけていきます。ブログってのは定期更新が1番大切なんでしょう。毎日投稿すると決めたら、毎日投稿しなければなりません。ブログってのはそういうもんでしょう。毎日投稿するってことは1年に365個ネタがないと書けません。無理ですそんなん。僕のネタのストックは今3個です。どなたかネタをくださいお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて今日はもう本題に入ります。この前フィリピン旅行記①というのを書きました。その続きという形で書きます。①を読んでいないとわからないことはないんですけども、ぜひ①もあわせて読んでもらえると嬉しいです。ていうか今気づきましたけど旅行記ではありませんね、滞在記です。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は主に語学スクールのことを書きたいと思います。個人名、学校名などはここでは控え、ただ単純にどんな語学スクールに通っていたかを伝えていければと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

フィリピンに滞在していたのは2週間です。日曜の夜に着いて、次の日から学校というわりと鬼畜なスケジュールをこなしていました。それから金曜まで学校が毎日あって、土日は遊び呆けて、いや、そんなに遊び呆けてませんけども、また月曜から金曜まで学校へ行き、土曜の朝に帰国しました。授業は朝9時から夜6時ぐらいまであるので、平日は遊ぶと言ってもどこかにご飯を食べに行ったりするだけで、2週間の中で遊ぶ時間はほぼありませんでした。つまりフィリピンのほとんどを、語学スクールで過ごしたわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

朝8時に学校へ行って9時までに食堂で朝ごはんを食べて、午前中に授業を4個受け、昼ごはんを食べて、午後にまた授業を4個受けて終わりです。マンツーマン授業6個、グループ授業2個の計8個を、毎日受けるのはめちゃくちゃしんどかったです。留学に行く前の大学の時間割が全休だらけだった僕にとって、この時間割は脅威すぎました。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて簡単にですが、1人ずつ講師の方を紹介していきたいと思います。皆さんとても癖のある方でした。授業ごとに講師が変わるだけで、毎日同じ講師の授業を受けませした。8個授業があったので、8人紹介しますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9:00〜9:50 ハクスリー

朝一番の授業はハクスリーという講師です。このハクスリーというのは本名ではなく、学校内で使っている名前だそうです。ハクスリーと呼んでも、何も怒られないので海外は楽ですね。しかもさほど年齢は生徒と変わらないらしく、皆さん22〜24歳ぐらいの年齢でした。ハクスリーは確か22歳やったかな。忘れた、ごめんねハクスリー。

ハクスリーは背が低く小太りで、髭を生やし長い前髪をオールバックしていました。いかにもフィリピン人というか、外人という見た目で。ハクスリーは僕をめちゃくちゃ賢い生徒だと勘違いしていて、"毎日日記を書くぐらい楽勝だろ?書いてきな、チェックしてやるよ!" っていうとてつもなくめんどくさい指令を下しました。おかげで僕は毎日寝る前にその日の出来事を振り絞り、電子辞書を駆使して日記を書く羽目になりました。まぁそのおかげでライティングスキルがついたのでありがとうハクスリーという感じですけども。最終日の前日には"日記を3ページ書いてきてくれ!"と言われたので、これはさすがに彼の長い髭を根こそぎ抜きたくなりましたが、お別れの時にたくさんフィリピン土産をくれたので、多分めちゃくちゃいい人だったんでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

ハクスリー長すぎました。すみませんもう少しコンパクトにまとめます。

 

 

 

 

 

 

 

10:00〜10:50 イージー

次の授業はイージーという講師が担当してくれました。イージーはその名の通り、とってもイージーな授業をしてくれました(最低生徒)。イージーっていう名前でディフィカルトな授業をしてくれても面白かったですけどね。ハハハ。

あとイージーは人よりも喋るスピードが少しだけ遅くて、イージーと話す時間は0.87倍再生されてるような感じでした。でもハキハキと喋る方ではなく、めちゃくちゃ聞き取りにくかったです。ごめんねイージー。あとインスタを教えてくれましたが、まだフォロー返してません。ごめんねイージー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11:00〜11:50 ダフ

3個目の授業はダフという講師で、ダフが1番厳しい講師でした。この授業は他の授業と違って少し特殊で、質問に対して正確にかつ素早く応答するための訓練をします。50分間永遠に質問され続け、答え続けます。

"Are you Mr.Brown?"と質問されれば、

"No,I'm not Mr.Brown. I'm Ryo."と答えます。

一見簡単なようですがマジでむずいです。僕が間違った答えを何度も言ってしまうため、ダフには何度もプリーズリッスン!と怒鳴られました。ダフはその日の眠さによって機嫌が天と地になってしまう方なので、ダフが眠たい日は地獄のような時間が流れました。まぁでも外人に怒鳴られるっていうのはなかなか経験できないことなので、その点は良かったかもしれないです。

 

 

 

 

 

 

 

12:00〜12:50 デカストロ

午前中最後の授業はデカストロという女の先生でした。そういえば性別を伝え忘れていましたが、ハクスリーは男性、イージー、ダフ、デカストロは女性です。デカストロは名前に反して身長が140センチほどで、ごぼうぐらいポッキリ折れそうな腕をお持ちでした。デカストロはいつも眠そうで、眠そうだねと言うと喜んでくれました。意味わかりません。デカストロは早口すぎて、マジで何言ってるかわかりませんでした。イージーとデカストロを足して2で割ってやりたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

14:00〜14:50 ポベダ

お昼ご飯後最初の授業はポベダという講師です。ポベダは本当にただの天使です。美人かつとってもフレンドリーで、毎日ポベダに会いに学校へ行っているようなもんでした。お昼ご飯の休憩よりもポベダの授業が楽しみでした。昨日やったこと覚えてる?忘れたん!?しゃあないなぁもう〜、的な全てを許してくれる感、妹の学費のために働くという素晴らしい責任感、最後一緒に写真撮って!と伝えるとしっかり変顔してくれるお茶目感、全てが100点の講師でした。フィリピンもう1回行きたくなってきたなぁ(ポベダに会ったら秒で帰国というプラン含む)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15:00〜15:50 ユーサフ

午後2発目の授業はユーサフが担当してくれました。ユーサフは日焼けしたキューピーです。背が低く小太り、とっても優しそうな声、おまけにチョコレートが大好きなんだぁ、と言い出すのでめちゃくちゃかわいいマスコットにしか見えませんでした。ユーサフとの話はほとんどが食べ物の話で、オススメのハンバーガー屋さんを教えてくれたりしました。そこで食べたハンバーガーはそんなに美味しくなかったです。ごめんねユーサフ。

 

 

 

 

 

 

 

 

16:00〜16:50 ザニー

この授業はグループ授業で、といっても5人ぐらいのグループですが、ザニーという講師が担当でした。ザニーは毎授業で私はまだ16歳なのよ、と訴えていました。まじで16歳の容姿だったのでそんな年下におれは教えてもらってるんか、と思っていたら普通に24歳のおばさんでした。黙る、という概念がないらしく、一生話しているので、最終日に "あなたは常に話しているから、きっと身体のどこかに黙るボタンがあるんだよ" と拙い英語で言うと、みんな爆笑してくれました。最初は愛想笑いで頷くことしかできなかった僕が、最終日には教室中を笑いに包むことができ、英語の楽しさはこういうところに見出すべきてはないかと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

17:00〜17:50 フリーザ

最後の授業もグループ授業で、フリーザ様が担当してくれました。ハスキーボイスの優しい女性講師でした。手違いか何かでこのグループは僕が入る予定だったグループよりもひとつ下のレベルだったらしく、レベル上げてもいいし、ここに残ってもいいよ、と言われ僕は笑顔でここに残ると言い切りました。初めはレベルが上がることが嫌やったんですが、グループを変えて周りがペラペラ喋っていれば、僕はおそらく黙ってしまうと思ったし、実際この授業で積極的に発言できたのでその判断はとても良かったと思います。以上クソどうでもいい話でした。フリーザについて書くことなさすぎて困りました、フリーザはほんまにただの良い人でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

以上になります。ここまで読んで頂いた皆さん、どうもありがとうございます。これは完全に自己満で綴ったものなのでめちゃくちゃ面白くなかったと思いますが、続きを書くと宣言した以上、書かなければ次のテーマには進めないと自分に課していたので、どうしても書き終える必要がありました。

 

 

 

 

 

 

 

長くなりましたので、最後に講師の方々、ありがとうございました。楽しく英語を学ぶことができました。5億パーセントこのブログに目を通すことはないでしょうが、あっても読めないでしょうが、この場を借りてお礼を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フィリピン旅行記①

 

 

おはようございます。このブログを楽しみにしていただいているスーパーマイノリティーな皆様、大変長らくお待たせいたしました。めちゃくちゃ久しぶりに書いています。ほんとに久しぶりに書くのでちょっと緊張しますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

これほどブログを更新しなかったことには3点の理由がありまして、

1点目、最近忙しい、2点目、ネタが相変わらずない、3点目、ブログしんどい

まぁ3点目から理解するのは容易だと思いますが、シンプルにサボってたんです。皆さんお察ししていたことだとも思います。

 

 

 

全盛期は毎日書いていたと思うと、最初は続けることができてもブログを長く書き続けるというのはマジでむずいです。ブログを始める時は、誰でも一生続けられると思うんですが、ネタというのはどんなに振り絞っても30個見つけるのが限界です。これは僕が面白みのない大学3回生であることには全く関係せず、どんな人にでも当てはまる理論だと僕は信じています。もちろん根拠は一切ありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

ていうか僕もう大学3回生なんですよ。これはほんとに目を瞑りたい事実です。もう大学生活が半分を切ってるなんて、誰が受け入れられるでしょうか。面白みがないと言っても、間違いなく僕の人生で1番面白みを生み出しやすいこのフィーバータイムが、もう半分もありません。そういう話をすると頭の悪い理系が、"おれは大学院行くからあと4年もある、まだ3分の1終わっただけやから"とほざきますが、そんなやつはどうせ気づいたらサラリーマンになっています。文系の皆さん、この言葉には騙されないように。ただの戯言です。

 

 

 

こんなに侮辱してから打ち明けにくいことですが、僕は大学院に行く可能性があります。でも僕のすごいところは、ちゃんと就活もしようと思ってるところです。さらにすごいところは、就活しなければならない、ではなく、就活したい、と捉えてるところです。これはなぜかと言いますと、僕のバイト先の師匠(現4回生)が就活をめちゃくちゃ楽しんでたからです。僕も後輩に"バイト先の先輩が就活楽しんどった"っていうのをブログに書いて欲しいので、とりあえず就活は楽しんで、後輩にブログをやらせたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、前置きが長くなりましたが、新学期が始まり、GWも終わり、少し落ち着いたのでブログを再開しようと思いまして、何を書こうと考えてたのですがビックなネタがあることをすごい忘れてました。いつのことやねんという感じですが、2/17〜3/2までフィリピンに英語研修に行ってたので、今回はそのことについて簡単にまとめます。時系列で書いていこうと思ったのですが、もう前のことすぎて結構忘れてしまったので、印象的なことをいくつか並べていきたいと思います。どうしても時系列で、という方はご飯に誘っていただければゆっくり思い出して話しますのでその時に。ブログを通じてさりげなくご飯の誘いを募集する、これはオススメですよ。(ブログ読んだよ!あの話聞きたいな、ご飯行こう!の連絡はブログ開設時から約0件)  

 

 

 

 

 

 

 

 

えぇ〜とまずフィリピンなんですが、もう行きたくはないです。たとえ1000円で、フィリピン行きの飛行機のチケット買えるよ!っていう怪しすぎるサイトが怪しくないと判明して、日本人がフィリピンに行きまくってインスタにフィリピン最高っていうストーリーが溢れるようになっても、僕は多分行きません。たとえがたとえすぎたことを謝らせて下さい、すみません。

 

 

 

 

 

 

 

いや、良いところでした。マジで行って良かったとも思います。ただ、もう1回行く?て言われると、うーんええかな、もう。ぐらいの場所です、僕にとって、フィリピンは。フィリピン人の方々、ならびにフィリピン愛好家の方々にはこのブログで不快な思いをさせてしまうかもしれません。どうかご了承願います。このブログ、フィリピン人の方が読んでたらもっとブログの規模拡大させて、世界進出を考えますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

フィリピンで僕がきついなぁと感じたのは、何個かあるんですけど、3個ぐらい今回はあげさせてもらうと、部屋に湧き出る大量のアリ、必ずお腹を下してしまう魔法の水、シャワー(笑)です。

 

 

 

 

 

 

まず部屋に湧き出る大量のアリについてですが、もうこれがすごいきつかったです。僕結構虫がアウトで、アリは別にいけるんですけど、湧き出る場所が部屋で、それも大量に、ってなると話は別なんですね。ほんとに部屋の至る所で湧き出ました。めちゃくちゃ小さいアリなんですけど、なんかもう大量すぎて、いちいち心優しく逃がしてあげれないんです。もう潰すしかなくて。アリ愛好家の方々、ならびに生物愛好家の方々、本当に申し訳ございません。2週間で100匹程は潰しました。

 

 

 

 

 

 

 

次に必ずお腹を下してしまう魔法の水についてですが、これはもうきついというより仕方ないことでした。ある程度行く前から覚悟して、正露丸とストッパを持参していたんですが全く歯が立たずで。正露丸のせいでリュックの中に入ってた全てのものが正露丸臭になるという素晴らしい結果だけが得られました。もうどの水がダメでどの水が良くてという判断も途中からやめて、お腹は下すもんやと思って生きてました。お腹は下すんやと。お腹は下すためにあるんやと。そう思うと気が楽でした。ちなみにこの水はコンビニで、20ペソ、日本円で40円ぐらいのお手頃価格で手に入りますので、お腹下してみたいなぁという方はぜひ。

 

 

 

 

 

 

 

 

はい最後にシャワー(笑)についてですけども、実際これが1番辛かったかもしれません。シャワーって、皆さんあんまり考えないことかもしれませんが、いっぱい穴があってそこから何本も水が出てますよね。そんなこと普段まあ考えないでしょう。日本のシャワーは多分あれ50本ぐらい出てるから(主観オブ主観です)しっかり浴びれると思うんですけど、フィリピンのは5本ぐらいしか出ないんです(事実オブ事実です)。ほんでその5本、方向バラバラなんです。ほんでその5本、勢いめちゃくちゃ強いんです。あんなもんで身体をキレイにするのは不可能です。イメージできますでしょうか。まぁ結論言いたいことはシャワー(笑)っていう名前を、心の底からつけたいと思うシャワーなんです。日本に帰ってからシャワーを浴びた時は感動で涙が出そうやったので、シャワーで誤魔化しました。誰にも見られてないのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

以上3点が、フィリピン生活できつかったことでした。この生活でわかったんですけど、僕ちょっと潔癖症みたいなところがあるみたいです。なのでシャワーはめちゃくちゃちゃんと浴びたいし、何も菌とかのない水を飲みたいし、アリのいない部屋で生活したいので、フィリピンはもうきついなぁて思ったのかもしれません。まぁこれがフィリピンだけでなくて、世界中の色んなところで、そんな生活をしてるのは容易に想像できます。でも決めつけることはしたくないので、どんな場所でも1回は行ってみたいなぁと思います。行ってみて、この場所なら暮らしていけるとか暮らしていけないとか、そんなことを考えるだけで多分楽しいんやろうなぁと思います。老後、時間が有り余ってる時に世界中を旅したいですね〜。どなたか一緒に行きましょう〜。その前にどなたかご飯行きましょう〜。しつこ。

 

 

 

 

 

 

 

 

あと、改めて日本はすごいところなんやなぁと思いました。僕の部屋にアリは全くいないし(帰国後スーツケースを開けるとアリが出てきて気絶しそうになったのを思い出しました)、水は安全で美味しいし(帰ってきてから1日に水を2リットル飲むっていうのを何日かやってみました、肌荒れ治るし朝早く起きれるようになるしオススメです)  、最高のシャワーを浴びれるし(これについてはカッコ書きで補足することがありませんがバランス上、つけざるを得ません)。大好きなお寿司も食べれて(帰国した日の夜ごはんがお寿司だったので母、天使説が立証されました)、車が安全に走ってて(フィリピンでは信号がなさすぎて横断歩道を渡るのさえ至難でした)、コンビニの店員さんは優しくて(フィリピンのコンビニ店員を2019年キングオブふてこい賞にノミネートしたいです)。ほんとに素晴らしい国です日本は。この素晴らしさは、日本から離れてみないとわからないんやなと思いますね。たかだか2週間離れただけですが、十分に素晴らしさに気づくことができました。もっと長い期間離れたら、もっと素晴らしいことに気づくんやろなぁって思うので、もっと離れてみたいです(頭の悪さ全開)。

 

 

 

 

 

 

 

まだまだ書きたいことはありますが、長くなるので今回はこの辺りにしておきます。続きも書いていきますのでどうぞ次も読んでください。ぜひ皆様、また生活のほんの一部として、このブログを取り入れていただければ幸いでございます。

 

 

 

 

 

では。

 

 

 

 

 

 

 

 

受験期を細かく振り返りました

 

おはようございます。いきなりですがまず、最近更新が滞っていたわけをたっぷりと説明します。

 

 

いつのことやねんという感じですが、毎朝10時まで爆睡し続けた冬休みが終わり、早起き学校生活が始まりました。バイトもたくさん入ってまして、夜は遅くまで起きているので、とにかく最近はもう眠いです。朝授業に出ないといけないので、母の叫びにより無理やり身体を起こし、半分寝たような状態で最寄り駅まで早歩きし、その先に待つものは暑苦しい満員電車です。そんな状態で皆さんの期待を超える面白いブログが書けますでしょうか。答えは否です。

 

 

 

 

 

 

これまで満員電車で書き続けてきましたが、最近はどうも書く気が起こりません。書く気が起こらんって、ブログに飽きてるだけやん〜、と思ったそこのあなた、今すぐその考えは捨てましょう。飽きているのではなく、面白いブログを書きたいのです。どうかご理解下さい。しょーみ若干飽きてるやろ?と思ったそこのあなた、ちょっと正解。

 

 

 

 

 

 

 

ということで、面白いブログを書きたいのですが、僕が自分で分析した結果(=おもいっきり主観)  、時系列で年表っぽく書いた記事が面白い、という結論に至りました。過去にあげた記事で、"人生を超簡単に振り返る"や"2018年間振り返り"などがありますが、どちらも同じ書き方をしています。"人生を超簡単に振り返る"は、多分僕の書いた記事の中で1番面白く、アクセス数もすごかったので、ぜひもう1度ご覧になっていただければ幸いでございます。"2018年振り返り"は自分の中では面白いのですが、アクセス数は伸びませんでした。意味がわかりません。

 

 

 

 

 

 

ということで、今回もその書き方で何を書こうかなと考えているところでございます。そうです、僕はこれを書こう、でブログを始めるのではなく、とりあえず書いてみてから何を書くか考え始めます。最初に満員電車がどうのこうのとか、ほぼ毎回母エピソードが出てくるのは、書きながらネタを考えているからです。母エピソードは即興で書けます。ちなみに母は僕がブログをしていることなんて微塵も知りません。ごめんね母。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、今の文章もネタが思いつくまでの時間稼ぎなんですけど、全然思いつかないので、もうネタが被っちゃいますけど、受験期を振り返りたいと思います。前のアカウントでも受験について書きましたが、あれはまあまあ雑に書いたので、今回はもう少し詳しく、書きます。ちょうどセンター試験の季節ですし、僕の経験してきたことで間違いなく受験期が1番中身の濃い出来事だったので、もう一度書くことをどうかお許しください。それでは、振り返りです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高3 4月

サッカー部を早々に引退し、必ず志望校に受かってやると誓う。ちなみにこの時は大阪市立大理学部数学科志望。分かる人にしか分からない話かもしれないが、ガリレオシリーズ容疑者Xの献身で犯人役の堤真一のようになりたくて数学科志望。今考えると、犯人になりたいってサイコパス説濃厚。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月

授業終わりに数学科目指しますと軽く言うと、数学科はやめといた方がいいですよ、と数学の先生に言われる。言葉が出ず、崩れ落ちそうになる。数学の先生に数学科目指しますって言えば間違いなく後押ししてくれると思っていたが故に、崩れ落ちるレベルも半端ではない。完全に志望校を見失い、露頭に迷う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月

英語がだんだんできるようになってくる。長文を読めば目がチカチカして全く内容が頭に入ってこなかった高2の時に比べ、著しく成長。また、大阪市立大に高校の制服で侵入し、見学。その時に食べた学食の味のインパクトがなさすぎて、大学から選びなおす必要があることをここで認識。志望校選びはさらに続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月

英語の調子が良い。さらに数学の才能が眠っていたことも理解し、もしかしておれ賢い?と誤認識。その誤認識には当時気づかず、志望校をあげようと神戸大学を視野に入れる。夏休みに神戸大学を見学。学食の味は悪くない。1時間ほどで退散し、その後は須磨の海で少し遊ぶ。典型的なダメ受験生。

 

 

 

 

 

 

 

 

8月

模試でまあまあの点数を叩きだし、誤認識がより深まってしまう。志望校を神戸大学にあげ、さらに国際人間科学部という、なんとも新時代の訪れを感じさせる学部にしか目がいかず、色々なことができるということにも惹かれ、志望校決定。8割ぐらいカッコよさで決めてしまったことは自分でも忘れるようにしている。大学生になった今、どうしても1つの分野に決めてしまいがちな受験生に、"色々な分野を学べる学部に行くのも手やで"、とアドバイスするバイトをしている。もう1度言うが、自分の志望校を8割カッコよさで決めてしまったことはもう忘れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

9月

2次対策に移る。大学の方々は笑わないで聞いて欲しいが、こんなにも難しい問題を解けるようにならなあかんのか、と絶句する。特に化学が1ミリも分からず、"宇宙1わかりやすい化学"という参考書を購入。宇宙1わかりやすかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

10月

2次対策に没頭していたせいで、センター模試で点数がガタ落ち。ここでかの有名なリュック叩きつけ事件(模試の点数が悪すぎて、家に帰り、無言でリビングに向かい、母がどうやった〜模試?と聞いてきた後、間髪入れず床に背負っていたリュックを一本背負いで叩きつけ、母、弟、ウサギを震撼させた事件)発生。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11月

さっきの模試は塾で受けた模試で、11月に学校で受けた模試が返ってくる。担任が返す前に一言、"この中にもうA判定の強者がいるよぉ!" 1分後、自分の帳票に光り輝くAの文字が。なんと第1志望校A判定。視界がパーッと開けて300度ぐらいになり、アドレナリンが湧き出る。その日が夢のようで眠れなかったことは一生忘れないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

12月

塾の模試はしっかり現実を見せてくれた。アドレナリンが1ミリも出ないどころか、出る気配がない、そもそもアドレナリンとはなんや?ぐらいの点数を取り、もうこの時はリュックを床に叩きつける体力もなく、自分の周りにどんよりとした空気が流れる。センター1ヶ月前、1周回って不安と焦りがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1月5日

学校で受けたセンタープレの結果は目標点マイナス150。元気 という概念が自分の中から消え去る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1月13日

センター試験当日。隣の席は貧乏ゆすりの達人。毎秒10回程度の振動がちらつくが、しっかりと自分のペースを保ち、初日を終える。

 

 

 

 

1月14日

センター試験2日目。貧乏ゆすりの達人、さらに貧乏ゆすりを加速。流石にこれはちらつくでは済まず、少しペースを乱して終了。結果はほぼ目標点。母と熱いハイタッチを交わす。この経験から、10日間死ぬ気で勉強すれば結果はわからんで、というアドバイスも生徒に伝えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

2月

2次力がなかなか上がらない。毎日朝は学校の特別講義を受け、昼から塾にこもり、夜遅くに帰る生活。疲れとストレスから頭にデキモノができてしまい、かさぶたになるまで潰し続ける。そのかさぶたを剥がすのが唯一の楽しみと言えるほど、人としてぶっ壊れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

2月25日

前期試験当日。朝からお腹が緩くてたまらない。英語の試験では5分腹痛を抑えることに専念する。得点源にしようと思っていた数学が超超超難化、頑張ってきた化学がやっぱりわからない、物理は、物理ってやる意味ある?と小学生みたいなことを思うほどにわからない、と結果は散々。帰り道、頭の中を"四谷"の2文字が占領し、黄色のものを見ると吐き気がする(四谷のイメージカラーが黄色であるため)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月

どうせなら最後までもがいてやろう、と思った自分を本当に褒めたい。後期受験は数学だけの受験だったので、ひたすら問題を解く。血が出るほどペンを握り(血が出たとは言っていない)、紙が破れるほど消しゴムを使い(使い方が下手なだけ)、とにかくひたすら問題を解く。数学の問題と仲良くなろうとすることが大切だと感じ、一生懸命語りかけるも、結果振り向いてはもらえない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月12日

後期試験当日。お腹は緩くない。受験会場にいる人が全員賢く見えるという病気を発症。前期試験よりは簡単だったものの、普通に難しく、終わった後、落ちたぁと身体から力が抜ける。母に落ちたわ多分、と言うと、予備校探さなあかんなぁ、と当たり前のように予備校に行かしてくれる家庭環境に号泣しそうになるが、涙は一滴も落ちない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月21日

後期試験結果発表。時間は9:55を迎える。お腹の調子が悪くトイレに駆け込む。そういえば10時発表やん、と気づき、携帯を準備。頭の中はどうせ落ちてるわぁが9割を占め、残り1割はお願い!頼む!が占める。時間は10:00を迎え、覚悟を決め確認。そこには見慣れた5桁がある。汚い話で申し訳ないが、パンツを履いてる余裕も、お尻を拭く概念もその時はなく、扉を開け、机の上の受験票にまっすぐ進んでいく。見慣れた5桁が見慣れた5桁であることをしっかりと1分ほどかけて確認して、歓喜の叫びを家中に響かせる。母不在であったため、電話で連絡。母、号泣。この時、やっと、やっと、受験の終わりを感じ、脱力し、疲れがドッと押し寄せてくる。なんとか現役で、大学生になることが決定。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、長かったですが、まずはここまで読んでいただき、感謝します。自分で振り返ってみて、やはり受験期の記憶は脳にこびりついていることが分かりました。とにかく鮮明に覚えています。これから先も忘れることはないでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分で言うとおこがましいことは百も承知ですが、こんなに劇的な受験はあるでしょうか。前期試験が終わり、落ちたことを確信し、予備校という概念が、どうしても頭から離れませんでした。"駿台はなんか嫌"を何度口にしたことでしょう。"四谷しかない"を何度口にしたことでしょう。それでも周りの人たちは、諦める直前まで精神的に沈んでいた僕をサポートしてくれました。本当にありがとうございます。ガラケーぐらい身体を折って感謝したいです。

 

 

 

 

 

 

長くなってしまいました。どうですか、この年表っぽく書く方法。まあまあいいと思うんですけどね。よければまた感想お聞かせ下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日はこの辺りにします。

 

 

 

 

では!

 

 

 

 

 

大阪市立大の学食にはインパクトがないというのは、ただの味覚音痴高校生が感じたことであり、そんなことは全くございません。しっかり美味しいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早めの2018年振り返り

 

おはようございます。メリークリスマスです。昨日の夜は前も触れた通り、パーティーをしてました。僕は1限があるので朝、先に出てきました。めちゃくちゃ楽しかったんですけど、暖房にやられて完全に体調を崩しています。外が寒すぎて、もうこのまま交番に向かって拾ってもらおうかなと思いましたが、そんな勇気があるわけもなく、今は満員電車に乗っています。今日の満員電車はあったかく感じるので好きです。

 

 

 

 

 

 

 

さっき最寄駅に着いて、改札を出た後、右ポケットに違和感を覚えました。いつもはそこにあるはずの携帯は姿を見せず、その瞬間、あぁやったわぁ、と悟りました。結局訳の分からない駅まで取りに行き、1限を諦めることにしました。朝、先に抜ける時、あんなに決心して1限に行こうとしたのに。寒すぎたけれども気合を入れて布団から抜け出したのに。時間も間に合ってたのに。悲しくてたまりません。

 

 

 

 

 

 

 

なんかこう、周りの人よりも不運というか。残念というか。僕の人生はずっとこんな感じです。他の人よりも生きづらい感じです。これから先もそういう人生を歩む気がします。

 

 

 

 

メリークリスマス!という前置きにしたかったんですが、悲しいお知らせになってしまいました。すみません。気を取り直して、本題に入ろうと思います。少し早いですが、年末に書く余裕もなさそうなので、2018年振り返りをしたいと思います。たくさんの人のおかげで、中々の濃い1年になりました。この濃かった1年を忘れるわけにはいかないので、ここに文章として残すことにします。相変わらず興味がないような話題ですが、1ブログとして読んで頂ければありがたいです。では、月ごとに振り返りたいと思います。皆さんもぜひ、ご自身に当てはめながら読んでみて下さい。

 

 

 

 

 

 

ちょっと忙しめの1月

○年明け直後に地元のメンバーでスキー旅行。自分の運動音痴っぷりに泣く。友達の1人、まさかの肩脱臼。もがき苦しんだ後、まさかの自分で肩をはめる。

○誕生日を迎え、大学の友達からブタメンを年の数だけもらう。死んでも痩せようと誓う。

○テスト前にもかかわらず大学のメンバーと釣りに行く。全然釣れないことに加え、餌が臭すぎることや、テスト前になにしてるんやろうが頭からこびりついて離れず、1人イライラする。ごめんね大学のみんな。

 

 

 

 

 

 

 

体調が良くない2月

○飲み会で日本酒を飲みまくる。日本酒が世界で1番美味しい飲み物だと勘違いし、嘔吐する。

○5年ぶりにインフルエンザ発症。多分インフルじゃないよ〜と医者から自信満々に言われるも、一応検査しといて下さいと頼み、余裕でインフル。人生で初めてヤブ医者を確信。

 

 

 

 

 

 

 

オーストラリア以外の記憶ない3月

○高校の友達とオーストラリアへ旅行。初の海外旅行に高揚し、シュノーケルまで準備するも、到着直後にワニが出るからこの辺り泳げないよ〜と告げられる。過度なスケジュール変更により疲れが溜まりまくり、オーストラリアまできて、昼の12時に起床を繰り返す。意気込んでお土産もたくさん買ったが、全く会わない人に向けて買ってしまい、結局自分で消費。

扁桃腺が少しずつ牙を剥く。1週間に一度体調を壊し始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

扁桃腺な4月

扁桃腺がついに暴走。重度の花粉症により、鼻からの呼吸を封じられ、結果口呼吸を繰り返し、扁桃腺にウイルスが当たりまくる。体調が良い時がほとんどなく、39度の熱を抱えていることを知らずに後輩とご飯に行ったりする。耳鼻科に通いまくり、また来たんかお前、みたいな感じで見られ、薬を飲まなかったことを結構怒られ、精神的にも病む。

 

 

 

 

 

 

 

 

バイトに捧げた5月

○花粉が少しずつ飛ばなくなり、扁桃腺が少しずつマシになる。GWは高校の友達と伏見稲荷に行く。お願いですから扁桃腺よ、お願いですからもうやめて下さい、と懇願する。

○めちゃくちゃバイトをする。1回生時からの活躍っぷりを認められ、見知らぬ奈良の地で、見知らぬ50人の前でプレゼンをする。緊張のあまり、カミカミな自己紹介を披露。

 

 

 

 

 

 

 

 

成績悪めの6月

○1回目のテストの結果が発表される。単位を4個落とし、扁桃腺もあったししょうがないわ〜と余裕ぶっていたが内心すごく焦る。母に相談すると"頑張るしかないなぁ"と言われ、"そりゃそうやねんけどもぉ"と返す。平和。

○梅雨がうざすぎる。これぐらいしか書くことない。

 

 

 

 

 

 

 

なんもない7月

○本当に何もない。寝て、起きて、学校行って、バイトして、の繰り返し。もうちょっと友達作らなあかんなぁ、と気づけたので収穫という意味ではまあまあな月。

○予定表見返しても、バイトの予定しかない。この辺りでバイトに嫌気がさし、やめますと言い切ったが、今も続けている。意志の弱さっぷりが光る。

 

 

 

 

 

 

夏休み始まったね8月

○お盆休みに旅行に行く(前のアカウントに長く綴っています) 。時間とお金と体力を無駄に使って、大阪→石川→愛知の順番で旅をする。名古屋で味噌カツを食べたこと以外全部やり直したい旅行。

○大学の授業関連で、兵庫の山奥に2泊3日の研修へ。初対面のおじさんと同部屋で、イビキがうるさすぎて人生で1番寝られない夜を過ごす。工事現場で寝るのと変わらん。むり。

 

 

 

 

 

 

 

 

入院生活辛すぎん?9月

○ついに扁桃腺を始末。全身麻酔もしっかりと楽しむ。入院中は一生お粥を食べ、味が薄すぎてご飯ですよ!を大量にかける日々が続く。結果、1週間でなくなる。お見舞いでは、はだおもいをはじめとするお見舞い品を持ってきてもらい、誰かが入院したら必ずやり返そうと誓う。1人での時間が辛かったが、アマゾンプライムのワイスピでなんとかやり過ごす。淫らすぎる進路変更に憧れる。やる勇気はない。

○2度目の成績発表。落とした単位は1つ。全然おっけー。

 

 

 

 

 

 

 

1番忙しかったわ10月

○香川に旅行。うどん屋さんを5件回って堪能したが、もう2度とうどんは食わんと決意。しかし翌日、母が出してきた昼ご飯はきつねうどん。おいしい。

○8月に研修した兵庫の山奥で本研修。4泊5日間、小学5年生と戯れる。"きたやん"の愛称で親しまれ、最終日には"手紙書きたいから住所教えて〜"と言われ、ほぼ全員に住所を教える。結果届いた手紙は一通のみ。人間不信に陥る。

 

 

 

 

 

 

 

 

いや、やっぱりもっと忙しかったわ11月

○テストが控えているにもかかわらず、ブログを開設。おもしろい、文章力すごい、毎日楽しみです、などありがたすぎる言葉を頂き、将来は必ず本を書こうと決意する。思い上がりな性格が一生治らないことも再認識。

○バイトメンバーで長野県阿智村に旅行。綺麗すぎる星空と雲海を堪能する。2泊3日で寝た時間は合計5時間。確実に寿命を削るが、間違いなく今年の旅行の中で1番の旅行。もはやオーストラリアよりも良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どう考えても1番忙しかったわ12月

○3度目の成績発表。一夜漬けを繰り返して、なんとか単位を落とさないことに成功。これを1回生の時は当たり前にできていたことを考え、老いやなぁと自分自身をごまかす。

○忘年会の嵐。飲みとオールを繰り返し、家のご飯を食べるのも週2回程度まで激減。母の味を完全に忘れる。

○クリスマスを迎える。朝から体調が悪く、めちゃくちゃ寒いと感じながらなんとか大学に行き、帰宅。3時間の昼寝をした後、熱を測ると38.6℃もあり絶望。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上になります。そうです、今僕は、絶賛体調不良です。結構な高熱を抱えていて、なんとかこのブログを終えようと必死でございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この1年を振り返り、やっぱり結構濃い1年やったなぁと感じています。他の人から見れば、7月に何も予定がなかったなんてあり得ないんでしょうが、それでも楽しく1年を過ごすことができました。旅行に行った回数もなかなかに多く、ご飯にもたくさん誘ってもらったので、この1年はずっと金欠でした。1回生の時は、お金をあまり使わず、遊ぶこともそんなに多くなくなかったので、余計に今年が楽しくて仕方ありませんでした。お金は使うべきやとしみじみ感じているところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

楽しんだ分、体調を崩すことも多く、たくさんの方にお世話になりました。迷惑もかけました。来年はもっと健康に生きます。とりあえず今の風邪を早く治します。

 

 

 

 

 

 

 

長い文章でした。ここまで読んでいただきありがとうございます。今年もあと少しですが、最後までよろしくお願いします!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日はこの辺りで。

 

 

 

 

では!